KKさん

このところ忙しそうなKKさん。
声の本質は変わらないが、これからまた一段進歩していく過程なのであろうか?彼女には何か迷いが感じられる。
仕事のアンサンブルで自分の声のピッチが気づかないうちに♭に、ということも話していた。

体調が悪かったり、身体が目覚めていないと、自分のポジションで出してもいつのまにか、支えが取れずに♭になることは良くある。
後は、発声に迷いがあると、そういうこともあるだろう。

一つは声量、ダイナミックの持ち方。
気づかないうちに出しすぎていないか?

もう一つは、声のダイナミックと関係があるが、他人の声との相対的な関係を意識できているか?
その場合に、どの声域に基準を合わせているか?
これは、自分だけが悪いのではなく、他の声部で微妙に♭になっていることもあると、相乗効果でそれを意識している人に大きく反映されてしまうことがある。

原理的には和音全体を決めるピッチは根音に責任があると思うが、根音=アルトとは限らないだろう。
ソプラノが聞こえやすいが、上に合わせると根音とずれることもあるだろう。
第3音、和音の中の音のピッチは非常に難しく、また和音のハモリ具合を決めるので逆に面白く、やりがいのあるパートだと思う。
また、ハモリ方そのものも、好みがある。平均率的なハモリが好きな人もあるし、もっと違うハモリもいかようにでも出来るだろう。

だから、これは聞き方の問題であり、また逆に言えばハモリの感覚を変えられる事である。
ハモっている、と思う感覚をずらして、少し違うハモリを作ってみること。
あるいはオクターブと5度のアンサンブルを自分で良く意識してみること。
オクターブや5度では、共鳴が起き易いので分かりやすいだろう。

もう1点、発声の方法論として、アンサンブルでピッチを合わせる(結果的に合うように聞こえる)ことが出来ているか?意識しているか?

概ね声帯のぴっちり合った発声はアンサンブルしにくいだろう。
特に和声の第3音とか、根音はそれがもろに出る。
息を混ぜること、結果的に芯よりも倍音成分が多い声の響きの方が、アンサンブルしやすいはず。

それで、今日はひとまずピッチを高く意識するハミングを2点C~Fくらいで練習して、そこから母音に変換してみた。
もっと低い音域は、ピッチばかり意識すると響きが出にくくなるので、難しいところだが、練習する価値は充分あるだろう。
当て所と、喉の具合で、ピッチと響きの両方を追求することは出来る。

===ここまでがアンサンブル発声の話=====

発声に関しては、何が良くて何が悪いのか?という判断基準がぐらつくことは、誰しもある。
彼女くらいのレベルであれば、良し悪し以前に、喉の持ちがどれくらいか?ということも判断材料になると思う。
選曲にもよるが、現状で1時間の練習で喉が枯れるようだったら、それは声の出し過ぎか、発声に問題がある、ということもあり得るだろう。
また、彼女の発声は高音にチェンジすると、どちらかというと早い段階で下に引っ張る傾向が強い。
これが2点F~Gくらいの間である。
私が個人的に彼女の発声で思うのは、彼女のソプラノとしての難しさの一つがこの発声にあるのではないか?ということ。
2点F~Gでどうしても喉に力みが出る傾向が強いと思う。
喉を下げているので、呼気をすごく消費しているように思える。
そのために、疲れやすいのではないか?

また、今日もバッハをやっているときに、下から上がるフレーズで2点Aになると、途端に口を横開きにしてしまうこと。
これのせいで、途端に呼気の支えがなくなった、響きになってしまう。
これをやるなら、2点h~3点C以上だろう。
2点bまでは、おでこから鼻根辺りをめがけて、共鳴を持たせた響きを追及できるはずである。

もしそれで苦しかったら、それは多分軟口蓋の上がり具合と、喉の下がり具合とのバランスが未だ悪いのだと思う。
恐らく、彼女の場合は喉よりも軟口蓋だと思う。
歌う顔を見ていると、上を開いている意識が未だ足りないように見受けられるのだ。。

逆に、2点F~Gくらいでの共鳴させる発声を、もう一段上の領域2点A~bに移行できると思う。

ヘンデルのメサイヤからRejoyceとバッハのコーヒーカンタータ
Rejoyceは、前回未解決だった、2点F前後の響きが低めになるのが、なくなって、すっきりしてとても美しいアリアになった。
単純に声を良い意味で抑制していたようである。
それから、発声練習で行った息が少し混ざる感じの2点C~辺りで始めたハミング(ピッチを正確に響きを高く)の練習が功を奏したのだろうか?

まだ2点F前後は喉が深い感じだが、これでも良いか、と思わせる、やはり彼女特有の響きである。
特にバッハのコーヒーカンタータは、2点F前後をうねうねと動く特有の旋律に、その性格が現われていた。

共鳴の場所が微妙に低い感じだが、それが何か管楽器的なクラリネットの高めの音域にあるような木管的な響きで、味わい深いのである。
柔らかく深みがある。共鳴感も良く出ている。
ただこの響きは、どちらかというとメゾ系ではないか?という気すらさせるものがある。

だから、2点C以下になると、途端に前にぴっちり合わせるソプラノ的な金属的な響きになると、何か違和感を感じるのである。
それならそれで、メゾ的に中低音も少しだけ胸に共鳴のある深い響きが欲しくなってくるののである。

バッハも、今日の歌はとても良かった。
前述の彼女特有の共鳴のある声が、抑制されて、クラリネットか高めのホルンのような響きでバッハのカンタータらしい幽玄な美しさに満ち満ちていた。
ただ、本人の声質に、微妙に高さゆえの苦しさが現われていたが、これは譜読みの進展と慣れで解消するレベルのものだろう。

ところで、彼女の声で思ったのは、彼女は隠れメゾではないか!ということ(笑)
それくらい、何か彼女は心のどこかでメゾソプラノに憧れていないか?
あるいは、そんな難しいクラシックの理屈みたいな話ではなく、彼女自身が無意識に志向するもの、音楽がそういうところにあるのではないか?
と思うのである。

野に咲くれんげ草やスミレのように、地味で目立たなくても、しっかりと自分というものを持って、大地に根を張って、陰に陽に人を支えようとする慈愛に満ちた性格なのだと思う。
またそうあって欲しい、という私の勝手な願いもある。
歌で声で、人の心にそんな安らぎを与えられる歌手に育って欲しいと思う。

OKさん

やや声に変調をきたしている、と申告のあったOKさん。
プライベートで何をしようが勝手なのだけど、やはり声だけはいたわって欲しいものである。
同じ喋るのでも、常に気を使うこと、咳の仕方や、テンションが上がったときのマインドコントロール。
いくらでも普段から意識できることはあるはずである。
それは、彼女に限らないが、人よりもハンディがあるわけで、その分、人一倍気をつけないと、喉が取り返しの付かないことになる。

しかしながら、発声練習を始めて見ると、特に問題は感じられなかった。
喉が温まるのに少し時間がかかったくらいである。
むしろ、今日も発声の進歩が良く感じられるレッスンであった。

彼女は声帯が綺麗に振動しにくいような喉なので、ある程度じっくりと喉を暖める必要がある。
狭母音で始めてから開母音、そして、ハミング、ハミングから母音に変換、という手順を声を聴きながら、声と相談して行っていく。
最初からあまり高音は出さずに、むしろ低音からじっくりである。

最近の特徴はめっきり地声が出なくなった低音である。
その代わり、ポイントさえ決まれば鼻腔共鳴に近い感じの中低音が出せるようになってきた。
これは大きい。
後は、この響きを本人が自覚して出せているかどうか?である。
コツさえつかめれば、自分で調子を持って行くようになれるだろう。
そうなれば、しめたもの!である。

今日は、プログラム順で、Vergin tutto amor,Tu lo sai,そしてLascia ch’io piangaと歌っていった。
Vegin tutto amorは、出だしから中音域で響きが出しにくそうだったので、一旦母音だけで練習をした。
初心者にありがちなのは、歌詞で歌うと普段の日本語の言葉の発音が素直に出てしまうものなのである。
そうなると、せっかく母音で発声練習をして確認した声の良い響きがどこかにすっ飛んでしまうのである。

逆に言えば、歌詞を歌う際にも言葉の発音の意識ではなく、声の響きの意識を常にそれぞれの母音に生かせるように発音、発声する
癖を作ることである。

それから、今日は発声のことも考えて、テンポを速めにして流す音楽にした。
3つ振りになるように、である。
その分、フレーズの終わりの切り方を考えないと、ブレスが遅れて次のフレーズの始まりの声の準備が間に合わなくなる。
聞いていると、とにかくフレーズの終わりを伸ばし過ぎている。
もう一瞬早く切ることを、練習して欲しい。
それから、特に短いブレスでは、前のフレーズを歌い終わった口の形を変えないこと。
すなわち、喉の状態をそのままにして、お腹でブレスする癖を持つことである。

これらのことは、他の曲でもまったく同じことであり、注意して欲しいことである。

Tu lo saiは、出だしの声のアタックは強すぎず、弱すぎずで、探して欲しい。
音程と響きがぴったり合って、即座に出てくる声、とでも言おうか。
Tという子音を、音程と共にきちんと意識すると、後は喉が自然に目覚めると思う。

高いオの母音は、オと意識しないでほとんどウと意識した方が喉が上がらないポイントに入れるだろう。
また、高いアの母音も、あまりアと意識しない方が良い、その方が喉が上がらないのである。
とにかく、ある程度の高音は母音の形に支配されないで、喉が上がらない状態、発声のポイントを最優先させるのである。

Lascia ch’io piangaは、良くなった。
レシタティーヴォも声が安定して、リズムも流れもはっきりしてきた。
アリアも、高音が喉で押して出さないで対処をきちっと出来るようになった。
不十分だが、為す術もないのではなく、それなりに彼女が得た技術で出来ていることが良いということである。

出だしのLascia ch’io piangaは、響きを高く上げすぎないこと。
声構えに当たっていることが大事なのであって、声の重心が高すぎてしまうと、今度は声の響きが出なくなってしまう。
もっとリラックスした構えから、胸に響かせても、今ならもう問題はないだろう。