NY

今日は本人歌う前から調子が良いと言っていただけあって、調子が良かった。
発声でも安定して高音が出せていたいが、アペルト過ぎて喉に来ていたので、口の開きを半分くらいにしてもらい、練習してみた。
結果的には同じように高音が出るわけで、響きとしてもむしろ喉の負担が減る、あるいは響きが上に行く、という方向性が感じられるものになった。

誰でも、ということではなく、彼の声を出す癖を考えると、口を開きすぎない発声を覚えた方が、口の中の回路の開発には良いだろうと思われる。

口を開けられない分、軟口蓋を使う、頭声を更に使うように、喉を使わざるを得ないと言う方向が導かれると思うのである。

曲はフォーレのPoem d’un jourからRencontre,Adieux2曲を歌った。
前者は勢いの良い声で、高音も綺麗に決まった。音程も良い。
Adieuxは、やや声を抑制し過ぎである。
確かに力みすぎも良くないのだが、抑え過ぎても良くない。
彼の場合その力加減が難しいが、力まない範囲で伸び伸び出す、と考えれば良いと思う。
そのために、この曲はそういう雰囲気になっているわけで、自然に歌うのが一番である。

いずれも声自体は良い方向を見せているが、発音で鼻母音がNが出てしまう。
それから、ある程度歌えるようになったらフランス語の母音の長さみたいなものを、
音符が八分音符などのように短くても、反映させることをトライして欲しい。
たとえば、Adieuxの出だしは、Comme tout meurt viteだが、これは、音符上は、ほとんどが八分音符になっている。同じ八分音符でもCommeのCoと語尾のeでは、その響かせ方長さが違うだろう。
そういう語感をもっと出して欲しいし、そのことに意を注いで欲しいと思う。
それでこそ、歌曲であるから。

後は、ロッシーニのSevigliaからEcco ridente in cieli
前回までは、最後の高音域で果てていたが、今日はなんとか保つことが出来たし、2回通せたのはそれだけで立派だ。
今は、技術的に細かいことよりも、曲に慣れる事で、どうしたらもっと力みを取って歌えるか?ということを体得して欲しいのである。
もっと力まないで歌えるだろう。

次にモーツアルト、ドン・ジョヴァンニからドン・オッタヴィオのIl mio tesore intanto
そしてファウストのアリアSalut!Demeure chaste et pureと立て続けに名アリアを2曲2回ずつ。
いずれも、声に破綻がなく安定した歌いっぷりである(彼の中でという条件付だが)

こうして振り返れば、難しいテノールのアリアを30分以上歌い続けられたわけで、彼の喉の耐性も完全にテノールになってきた、というレベルである。
後は、どうしたら力んで出している高音を、響きに変えていけるか?

今日の「ファウスト」のアリアで見せた2点Cの声の出し方を、応用して少し低い音域でも、その出し方を覚えて、そこからまた更に響きを充実させていく、という逆の方法を考えて行くことではないだろうか?

まだまだ下から力で押して昇った声の出し方の成分が強いのである。
そういう意味では、軽く下降形の発声で、最初に高音から始める方法は、理にかなっているかもしれない。
今後の健闘を祈っている!

KY

彼女もこのところ力みが抜けて良くなった。
また、人柄そのものも以前見られた緊張や強張った身体が、かなり柔らかくリラックスした雰囲気になってきた。
単に、こちらに慣れただけかもしれないが、何か人柄が落ち着いたような気がする。

発声練習は母音をアにして、上向形、下降形いずれもやってみたが、高音域を力まないのは良いが、今度は弱すぎて支えのない声になってしまう。
それで、スタッカートの練習となった。

スタッカートで練習するのだが、特に2点D~Fくらいで顔面に息を当てるように、響きを作ること。
これが、慣れないのでやはり喉が力んでしまう。
そのため、まずはハミングでスタッカートをしてみた。
スタッカートにすることで、息を意識できるし、喉を力ませないで脱力出来る。

これを練習して母音にしてみると、不思議なくらい脱力した母音で、綺麗に共鳴のある中高音の響きが出せるようになった。
まだ曲で応用するのが難しいが、彼女の声としては一つの方向性が出来て良かった、という結果である。

曲は日本歌曲で前回も歌った「桐の花」
こちらは、出だしの中低音が弱いので、最初の「きり~」のイの母音できちっと響かせる意識を持つこと。
後は、この曲の高音では、前述の発声を生かして、喉を力ませないで、息=声の響きを顔面に、ポ~ンと当てるようにして出すこと。

最後に「からたちの花」を練習。
大分力みがない高音になったが、まだまだブレスを持たせたいという意識が先走って、なんだかせわしない音楽になってしまう。
特に後半。
落ち着いて処せば、何てことなくブレス無しで歌えるところもある。

この曲は不思議と声のことより、表現のことに行き着く。

声のことで言えば、難しくしようと思えばいくらでも難しくなるが、音楽濃度の高い曲なので、むしろその人のイメージ力を試してみたくなるのである。
たとえば、最初にからたちの花が咲いたよ、という言葉をどういうイメージで歌うのか?
ほらほら、咲いたんだよ!からたちの花が、、と、楽しそうにいうのか?
哀しいのか?最初から悲しくはないだろう。

あおいあおい、花が咲いたよ~と歌うあおさ、とは?頭の中にイメージしているだろうか?
なんてことをやってみると、歌は確かに変わってくる。
微細な変化だけど、確かに伝わるものがある。

せっかく身体で感じられる日本語の歌だから、こういうイメージを大切に歌って欲しい。