HT

フィガロ「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」では、顔をぐらぐらさせないで、しっかり立った姿勢で歌うと、とてもよい声が出ている。
今日のポイントは、ピアノのしっかりしたリズム感。
声が出てきたし、調子が良いので、あまり音量を気にしないで、この曲らしい男らしいマーチの
リズム感と、フォルテの立派な響きを大切にしてもらった。
シューベルト「鱒」最初は声が変わってしまって、口先で歌うので、注意を。
フィガロのままの人になって、歌ってみてはいかがか?と。
そのことで、良い発声の声をそのまま活かしてもらいたかった。

ただ、そのままではフィガロの芝居になってしまうから、例えば声を明るくするためには
笑顔を。あるいは歌いすぎないことで、軽やかさを出すことが出来るだろう。
歌いすぎないことの象徴は、例えばフレーズの終わりの4分音符を伸ばしすぎないことや、
8分音符を活かしたリズミカルな歌い方に工夫することであろう。
要するに良い声、そのための発声の基本は抑えて欲しいということである。

最後に「魔王」歌で強いて言えるのは、フォルテの高音でがならないこと。
常に冷静に、客観的に歌った方がよりドラマティックな本質に迫れるだろう。
ピアノは、前奏の緊張感を歌の背理まで持続すること。
悪魔のパートのリズムの刻みに寸分の迷いも出さないこと。要するに後れないこと。

IA

Hahn Maiから。
ピアノの伴奏が良くなり、歌のほうも滑らかに歌いやすそう。
強いて言えば、出だしの2つのフレーズは1ブレスでフレーズを扱ったほうが、フレージングの妙が効いて良い。
同じように、他のフレーズもブレスが入ったとしても、工夫の余地があるだろう。

Quand je fus pris au pavillonは、これも良くなった。
ピアノのリズム感、後一歩!流れないこと。
ベースの弾む響きとリズム感を大切に。あるいはフレーズで捉えた微妙な膨らませ加減だろうか。
それは、右手の和音の歌い方と関係があると思う。
歌は、声は良いからもう少し楽しそうだと更に良い。

Printempsも全体的には良くなった。
歌声は高音部がとても綺麗に出ている。
ピアノ伴奏のクオリティにおいて、欲を言えばもう少し。
右手の旋律もっと響かせて、左手の細かい音符は滑らかに。
フォルテの力強さ、素早さから、繊細なタッチの音までの幅広いダイナミック感がもう少しあれば言うことない。
後で思ったのは、歌は伸ばす所と、速く言う所との差をもう少し取る事で、大きなフレーズを素早く歌えるのではないか?結果的に、フレーズ感が大きな音楽になると想像できるがどうだろう?

A chlorisは、最初リズムが一定でなく、どうもぐずぐずして感じられた。
歌のテンポ感と、ピアノのテンポ感とのアンサンブル。
ピアノは舞曲を感じて、ゆったりした優雅なバロックダンスをイメージすると良いだろう。
舞曲である以上、ステップや腕の振りなどを、綺麗に踏める音楽であるはず、と思って欲しい。
歌はその上に乗って淡々と歌うだけである。