NY

今日は発声練習から声がやや重かった。
ハミングをやってみたがAくらいから1点Dくらいにかけても、喉の開きの大きい声だったので、高音が逆に抜けない響きであった。
見ていると、発声時に、声を出そう、押そうとする力が非常に強く働くので、勢い喉は下がる方向が強いし、そうなると
口の使い方、特に顎の動かし方、開き方も硬いのである。

声を弱く、というよりは、もう少し楽に、軽く、出す感じを大切にすることで、顎や口の開き具合の柔軟性が出てくる。
そうなってくることで、喉の使い方にも柔軟性が出てくるのである。
諸悪の根源、という言い方はちょっときついが、承知の上で言えば、声を出し過ぎる力が、問題になることが多いのである。

勿論、開放しようとすることはとても大切であり、縮こまって閉鎖的な肉体感覚では、高音は逆に出しづらいであろう。
いや、高音というよりも声全般に出しづらいと思う。

ただ、身体を開放的に使うという意味は、少なくとも声楽の場合は、スクワット腹筋を何百回もやるような筋肉の使い方ではない、ことだけは確かである。もっと気持ちよくて楽で、それでいて身体を使っている状態。
硬直ではなく柔軟。

今日はドン・ジョヴァンニのIl mio tesoroから。
これが、全般に声が重くて響きが♭気味であった。
ここでは、全般に声を軽くとか音程を大事にという程度で終わった。

その後メサイヤのアリア。なかなかの難曲だが、上手く歌えば爽快な曲調である。
低音のメリスマと高音の勢い。
低音のメリスマは、低音そのものではなくて、高音から降りる際に響きを落とさないことである。
高音発声の同じところで低音を響かせるように。高音は下顎で力まないで思い切って高く放り上げるように。

見ていると、お腹の使い方、特にブレスから、お腹があまり使えていないように見える。
もう少し明快に胸郭を開く、あるいは上がるようにブレスをすることで、頭声が出しやすくなると思う。
また、そのことで、呼気のコントロールも付きやすいであろう。

最後にフォーレのトスカーナのセレナーデを練習。
高声用でも充分に歌えるようになったが、今日の重い発声だと音程自体が苦しいものになるので、発声には充分注意してほしい。

IM

ハミング、母音取り混ぜて発声練習。
以前、来出した頃に比べると、低音の声量が少なくなっているように思うのは、勘違いか?
もし高音の発声を意識するのであれば、低音~中低音は、なるべく息を使わず、前に細く密に集めた響きを得ると良いであろう。
ピッチは高く、響きを前に集めることで、自然に高音へのチェンジが行いやすくなるはずである。

トスティのTristezzaから。声が少し開いた響きで、集まりが悪い感じ。
譜読み途上のようで、声に集中が行かないようである。
2点E~Fくらい、少し喉が高いが力みが取れているのであれば、心配はないのだが、締まっているようであれば発声を少し工夫の必要があるだろう。

Chanson de l’adieux
トスティには何曲かあるフランス語のカンツォーネである。
トスティにしては、いかにもフランス人好みなクールさ、小ささみたいなものが工夫、表現されていて微笑ましい佳作である、と思う。
声のことよりも、フランス語の発音、アンシェヌマンなど。微妙にアンシェヌマンしないように音符が書かれている。
これも、声のことは譜読み、歌いこみが進んでからである。

最後にラ・ジョコンダよりVoce di donna o d’angelo
こでも新曲で譜読みは発展途上だが、雰囲気は目論見通り、合っている。

今日思ったことは、中音域、出しやすい音域こそ、声をなるべく前に集めた方が良いだろう。ピッチには注意。
それから、譜読みではリズム読みを大切に。言葉だけで良いからリズムで読む練習をすると良いと思う。

ソロの場合、ある意味では合唱以上に、声質や声そのものへの集中が何より大切である。そのための譜読み、リズムである。特にリズムは大切に。