YI

お芝居の勉強をロンドンで、帰国後は普通のお仕事をしながら、好きな歌を再び勉強したい、ということでレッスンに。
こちらの意を汲んで、どんなことでも実行してみようとする意思をはっきり出す、芸事に馴れた方だと思う。

軽く発声を聞いて判断する。
良い音程と歌える声を持っているが、呼気が足りないために単純に声量が足りない、という印象。
そのため、息をしっかり吐くこと、吐く方向を意識する練習から始まった。

これだけで単純に声が倍くらい出るようになる。
元々喉も高音が出やすい喉だと見た。
低音は、地声になりにくい喉で、その分気息的な声になる。

低音の練習はハミング、そしてハミングから母音への変換、とやってみたが、やり馴れないので難しい。
喉も開かなくてはならず。ちょっと難しいか。

それで、イの母音で練習してからアに応用ということをやってみた。
これも一長一短あり、難しい。
あまり低音に拘らず、高音を伸ばす方が楽そうである。
今日の練習であっという間に、3点Cを簡単に出していた。

要するに呼気をしっかり使って出す方が楽で、呼気を集めて中低音の響きの共鳴を作るのは難しい作業なのだと思った。
これは誰とは限らずである。

発声を40分近くやって、最後に軽くAmarilliとO del mio dolce ardorを練習した。
Amarilliは、やはり呼気の足りない声になったので、再度、発声を確認したら、しっかり声が出るようになった。
この流れで、O del mio dolce ardorは、とても歌らしい!?歌になっていた。
感情がはっきり出てきたのである。

面白いことに、声を出すと感情がはっきりする。
逆に言えば感情がはっきりしていれば、声は出るのではないか?
感情がはっきりしていれば、というのは、言葉の意味と旋律が、わが身のうちで繋がること、ではないだろうか?