NY

発声練習で感じたことは、声の元気が良いことだが、やはり発声が気になる。
声帯をびんびん鳴らして歌うという感じ。
これでは、高音が出ないだろうと思うと、ちゃんと1点Eくらいから微妙に声を変えて高音に対処している。
だが、それにしてもやはり喉が絞まる。
1点Gくらいまでは良いとしても、やはり1点Aから上は今だ不安定である。

今日はヘンデルのメサイヤのテノールアリア、Love sounds the alarmから始めた。
格調高い、ブリティッシュ風味の曲で、なかなか趣味の好い曲だ。

その中で一番気になったのが、数小節に渡って1点Gだったか?ロングトーンがあるのだが、ほとんどビブラートがかからない、息の流れない声のため、音程も♭気味になる。

それで、彼もブレスから声のアタックへのお腹の使い方の検証になった。
触ってみると、思ったより硬くしていないが、高くなるとお腹が動いていないため、恐らく息を詰めて声帯を締めて出しているのではないか?と推測された。

高音発声で良く言われることとして「解放的に」とか「リラックスして」という言葉の意味は、息を吐けているかどうか?という基準にあると考えて欲しい。
息を吐けている感覚は、お腹がまったく自然にへこんで行くかどうか?である。

そう考えて発声するとき、喉が開いていないと、あるいは軟口蓋が上がっていないと、喉の弁が
締まって自由に呼気が吐けないで、発声してしまうわけである。

実際は喉頭の諸器官で、弁の役割を果たすのは声帯の声門だけであるが、良い発声で歌えているときは、あたかも弁が開いて、空気の層が出来て、その空気の層の使い分けで自在に歌える感覚になるものである。

お腹が自然に動いて息を吐けていること、そしてそのために、口の開け方として下顎を引くようにして縦に降ろさないこと、そして軟口蓋を意識して、その場所で発声する感覚、である。
その辺りに息の層を作って、その息の層で歌う意識、イメージである。

この曲で、この発声を良く練習したせいで、後のフォーレの「トスカーナのセレナーデ」は、なかなか素晴らしい高音の響きが出せるようになってきた。
最後に「愛の妙薬」から「人知れぬ涙」も、大分良いが、常に意識して練習しないと、いけない。
一番大事なことは、一音を突いて歌わないで、旋律としての横の流れを重視して、要するにフレーズを息で通すように歌うイメージである。
たとえば、最初の一音のUnaのUの母音をウという一音で押してしまうであろう。
そうではなく、Unaという単語の2つのシラブルの流れの中の一つ目に過ぎないこと。
そして言葉のフレーズの中のUnaである、ということが分かれば、当然言葉のフレーズの流れを息で流すように歌うはずである。
そういうことが、喉で押さない息で作る発声を産み出して行くのではないだろうか?