この2ヶ月間、かなり力入れてフォーレの歌曲を勉強してきたが、やって良かった。
フォーレの歌曲は、旋律をただ気持ちで歌って人に聞かせられるほど甘いもんじゃない。
それは旋律が地味目(シックとも言う)であって、フランス語の母音の響きと地味な旋律との兼ね合いで
なおのこと、フランス語の母音特有の響きの美しさを強調できないと、面白くなかったりするからではないか?と思っている。
逆に言えばフランス語の母音の美しさを歌手が強調できる余裕が音楽にあるのだ。
プーランクはちょっと違う。旋律濃度がもっと濃いから、母音の響きで何かしなくても通用する感じ。
ドビュッシーは彼の指示通りにするしかないのであって、こちらが何か差し挟む余地を残してくれていない感じ、といえば良いだろうか。
恐らくフォーレの歌曲がぴんと来ない人は、フランス語の母音の美しさと歌声との関係に未だ開眼していないといっても過言ではないと思う。
なんて書くと、んじゃあ~お前分かってんの?と言われそうだが、分かってるからこんなにフランス歌曲にこだわってんじゃん!と言いたい。
ただ、残念ながら歌声にその美しさを反映させることがまだまだ下手なんだな。。
というわけで、自分にとってどうしてもフォーレの歌曲は乗り越えたい壁だった。
今もまだ壁だけど、以前と違って壁の高さそのものが分かってきた。
分かってきたから目標が見えてきたのが嬉しい。
それで今日は久しぶりにプーランクのLa grenouillereとか、2Poeme de Guillaume Apollinaire や4Poeme de Guillaume ApollinaireのL’anguilleとか、5Poeme de Max Jacobとか色々歌ってみたけど、まるで違うことに今更気づいた。気づくの遅いかな?(笑)
プーランクという人は、どんなに表面づらが面白かったり艶めいていても、真底にはとても聖なるものがある。
旋律が「おいしい」からどんな声でも歌えた気がするし、良いようにも一見聞こえる。
だが、一見Valse musetteのChanson風であっても、その底にある祈りを汲み取って真摯に歌わなければいけないんだ!と肝に銘じた。