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歌を歌うってことは作った人のエスプリをいただける、いわば他人に成りすますことが出来る快感と言えるでしょう。
その場合に得られる快感、とは、より忠実にその他人に成りすますことが出来るかどうか?
ということの達成度にこそあると言えましょう。
それは、やはり声でありその響きであり、そのことで得られる音楽の正確な表現を可能に出来た場合ということです。
そんなことを思ったのは、ドビュッシーの「二人の恋人達の散歩道」がようやく歌らしくなってきてでした。
この曲は明快にバリトンの声のためですね。
例えば2曲目のCrois mon conseille,Chere climene!なんて歌って、上手く行くととても恰好よいわけです。
いつもは冴えないおじさんが、歌を歌う時だけはドン・ジョバンニになっちゃうかのような!笑
でもそのためには、滑らかで深みのある低音と、素早くまた滑らかなフランス語の発音、語感が必要なのです。
淀みなく語ること、滑るような母音の流れ、歯ざわりが良く、出すぎない軽快な子音の響き。
高貴なご婦人を説得するには、淀みのない語り口が必要なのです!
CroisのWaという発音記号による、フランス語独特の母音は、平泳ぎの手の素早さと大きな母音の響きがとても大切です。
Chereのエの母音は、柔らかく広い大きさがあってこそ、Chereの意味が出てきます。
そんなディテールの中にこそ、たった3分にも満たない小品の中にある、素晴らしい世界を作り上げる
鍵があるのでしょう。
次回はドビュッシーのDans le jardinについて書いてみます。