なんだかくだらんお子ちゃまのことで、怒り心頭に達するのもバカバカしいことだ、と悟った。笑
どうもたそがれ時が好きな性格もあるが、昨日を振り返ることが多くなったこの頃。
時々生徒のコンコーネを教えると、音大入りたて時代の悪夢のようだったレッスンを思い出す。
いや厳しかったのではない。
つまらなかったのである。
とにかく、コンコーネが嫌いで、どうにもならなかった。
あの何だかブンチャカチャッチャブンチャブンチャという、リズムが何とも単純素朴で嫌いだったのだ。
その頃は、単純素朴は嫌いで、複雑洗練が好きだったのだ。
ドビュッシーやラヴェルのような音楽だ。
それでも声楽かになるには、こーゆーものを歌わねばならないのだ!義務だ!とばかりに、一所懸命譜読みはしたが、とうとう好きになれなかった。
それでは何をやったか?というと、今度はベッリーニの歌曲やヴェルディの歌曲となる。
これらも、良く判らなかった。
特にヴェルディの歌曲となると、さっぱり訳がわからなかった。
あの特有のドラマツルギーというのか?するめでも一所懸命噛んでいるような気分だった。
そうそう、初めての先生の発表会で歌ったのがベッリーニのSei romanzeの中の「墓に近寄らないで欲しい」だった。
訳がわからなかったので、とにかく大声で一所懸命歌った記憶がある。
それでも自分なりに、この曲のドラマティックな趣はわかった。
わかったが、これも何だか妙味というものが感じられなかった。
そんな風に学生生活を過ごしていたときに、フランス音楽研究会というサークルと出会ったのであった。
これがあったおかげで、今の自分がある、と思う。
今になってみると、そう思う。
自分はそれほどの者にも成らなかったが、フランスの音楽、声楽作品は、自分が音楽を「仕事」として続けて行くためのテーマとして必要欠くべからざる存在であったのは確かだ。
たそがれに想う
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