昨日は、ドビュッシー「叙情的散文」から「夢」と「花」をレッスンした。
この歌曲は自分が勉強して歌ったわけではない。
そのせいか、詩と音楽の関係がつかみ切れず、教えることに少し不安があった。
伴奏をつけてもらって通してみると、予想外に判り易い音楽であることが判った。
理解が深くない音楽は、指揮してみると、整理整頓が行き届いて、全体が明解に理解出来る。
一緒に歌うことも良いが、歌うと、自分の発声に集中し過ぎて全体像が以外とつかみきれないものだ。
指揮を振ることで、テンポの変化と全体の構成感がかなりつかめようになる。
ドビュッシー自作の詩も、難解ではなかった。
象徴的な表現だが、美しい表現で、人生には誰にでも訪れる悲哀を描いていることが良く判る。
それにしても、このような難解な音楽を、短時間で譜読みし、ほぼ全体像を提示してくれるピアニストには敬服である。
もちろん、ただ弾ける、というレベルではなく、音符の並びを、正確に音楽の形に再現してくれる、確かな基礎技術を持っているわけだが。
このようなピアニストの音楽と接すると、自分はちょっとくらいは勉強したかもしれないけど、若いころの基礎の組み立てがなってなかったな~と
反省しきりである。
もっと出来たはずだけど・・と思う。
でも、まあ50過ぎちゃったけど、それが判っただけ良いか、と楽観もしているが。笑
まだぼくより若い人に言いたいのは、楽して格好良くなれないよ、ということ。
プレイヤーに多いけど、なんとなく出来ちゃうと、それで良いと思ってしまうのだな。
年を取ってきて側だけで誤魔化せなくなった時が勝負なんだ。