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フォーレの作品、中でも後期の作品は、いわゆる声楽愛好家には好まれない傾向があるのではないか?と思っています。
特に声楽愛好家というわけではないが、音楽が好きで現代ものが好き、ポップスも好きなノン・ジャンル系の人たちに意外と好まれることも、今までの経験で判って来ました。
後期の「イブの歌」「閉じられた庭」そして「幻想の水平線」等々・・・・
はるか昔、ある先輩が、フォーレの「幻想の水平線」を「インターナショナルな作品ではない」と評していました。
当時はこの意味が判らなかったのですが、今になってみれば、声楽作品を好んで聴く人たちにとっては魅力的な作品ではない、ということを「インターナショナルではない」
という言い方をしたのだと思い至りました。
いわゆるクラシックの声楽愛好家にはあまり好まれない、という意味でもあるでしょう。
まだ駆け出しにもならなかった音大出たての自分は、この曲に惚れ込んでいました。
1曲目から海の青い色が見えてくるのです。
日常から離れられる海への渇望!乗船の好奇と楽しさ、月に照らされる夜の海の美しさ、そして船や海との別れ=現実への立ち戻り。
10分少しの短い時間に、経験したばかりだった新鮮な船旅を思い起こさせてくれる作品でした・・・
その先輩は、プロ歌手として世間に通用するレパートリーが大事なんだ、ということを考えていたのでしょう。
この曲集が彼の声を引き立てないことを、彼自身が一番良く知っていたのでしょう。
私自身はそんなことはどうでも良いことだ、と思っていました。いや今でも思っています・・
プロというのは、それで飯が食えるという意味もありますが、飯の食える食えないと関係ないプロもある、と思ってます。
後者を昔は「芸術家」なんて言ったものですね(笑)
音楽だの芸術だの、とどのつまりは好きなことを「とことん」やるだけだ、と思います。
演奏といえども原点はそういうものだと思います。
また、マスに受け入れられることや理解されたいことが主眼にあるならば、それに相応しいジャンルや作品がいくらでもあるでしょう。
いや、仕事がいくらでもある、と思いますが。
何を好き好んでクラシックの声楽家、それに加えてフランス歌曲なんてレパートリーに選んだのか?と思いました。
一方、●×会の先輩の中には、景気が良い時代だったせいもありますが、CMの仕事だけで飯を食っている人もいました。
飯が食えるとは、そういうことでもあるのです。
それも良いですが、人がやらないことをやる、人が見向きもしないことをやる、人が努力を傾けないことに努力を傾ける、
そういう頑なな生き方をする人もいて良いではないか?と思っていました。
はたして自分はどうだったか・・・どうも中途半端な気もしますが、幸い好きなように出来た気もしています。
ところで、作品を気に入ってるから良い歌が歌える、とは行かないのです。
気に入ってるなら、何が良さなのか?どうすればその良さを表現出来るのか?
それをとことん考えて研究して実行しなければいけません。
それが、愛する作品に対する礼儀というものですし、芸術家の矜持というものです。
今の時代ほどこの矜持という言葉の大切さを思うことはありません。