年を経るという実感は、肉体と精神の寸断された違いを実感出来るようになること、と今までは思っていた。
例えば、若い人と話をしていて、いつの間にか自分が相手と同じ年になってしまっているような勘違い。
時々一人で妄想に耽っている時も勘違いすることは多いだろう、頭の中だけは。
そうして、夜の電車に乗って扉の窓に映るくたびれた自分の姿を見て、はっと我に返るのだ。
ところがである。
そんな老いぼれた自分の姿を知っているのに、こんな20歳の頃に慣れ親しんだ歌を聴くと、
肉体までもが、あの20歳のぴちぴちした肉体を思い出すから不思議だ。
あの頃はタバコを吸っていたが、タバコがいつもうまかった。
食事も美味しかった。
車にも良く乗っていたが、車に乗ったからとて、足腰が弱ったなどという実感は微塵もなかった。
まるで初夏の雨の後の玲瓏な空気のような、つま先から頭の天辺までも澄み切った存在の若者が本当にここにいるような気になるのだ・・・
肉体と精神というのは、表面上は違っているように思えても、本当は二分出来ない同じ存在なのだ。
そう誤解してしまうくらい、音楽の力は強く鋭い。