デュパルクの「旅への誘い」を探していたら、モラーヌ師の録音を見つけました。
バリトン歌手モラーヌの声が一番良く表れている録音ですね。
どうです、この長く完全なブレス!
この長いブレスがあるから、わずか開いた発声でも、完璧なフレージングとディクションが可能なのだ、と教わった身としては言い訳をしたい!(笑)
そして中間部の鋭く突きさすテノーラルな高音はどうでしょう!
発声はきれいにアクートしている、と思います。
完全に声帯を伸ばして、声帯全体を良く振動させられている。
それほど高い音ではないですが、彼にレッスンで歌ってもらったフォーレのC’est l’extaseの
最後のL’humbleの1点Esの声は、完璧に声帯を伸ばして出した高音の声だった。
であればこそ、その響きに陶酔出来た。
ただし、美声にうっとりする、という声ではないのです。
私自身は、彼の発声の完璧さに惚れた、と言えるでしょう。
どう完璧と思ったのか?と言うと、中低音域の大切な音域で、声帯を閉鎖させ過ぎないで微妙に開いた発声が出来ていて、
それであればこそ、口腔や胸の共鳴感を伴った声の響きが出来ている。
声の響きというのは、こういうものだ、という典型みたいな声です。
一方、いわゆる「美声」で聞かせるのはスゼーだと思います。
細かいこと言わなくても、喉の響きそのものが美しく、人を魅了する声が楽しめる。
声帯をきれいに閉鎖させるから、自然に微妙なポルタメントが作られて、それあればこその色気が出ている。
こういう声の違い、というのは、本態的なこともあるし、またその歌手の音楽への考え方や、嗜好性が関係するでしょう。
モラーヌ師は、やはり言葉を大切にしたのだと思います。
言葉の持つ美しさを、最大限歌声に反映させたのです。
或いはこうも言えるでしょうか?
言葉の美しさをその音楽を形作る要素に充分に参加させた声楽家なのだ、ということ。
その意味で、彼がいつもレッスン時に言っていた「声楽は芸術である」と言う言葉。
歌手が出来ることは、良い声で歌うだけではなく、歌詞を音楽芸術に充分に参加させることである、と言うことだったのではないか?
当り前のことのように思えるこのことも、彼の歌を改めて聴くと、なるほど、と良く判るのです。
さて、小難しい話はこれくらいにして、最後にモラーヌのシャンソンをどうぞ(笑)
バッハのプレリュードによるシャンソン(グノーが使ったものと同じ)
この女性歌手さんも、Mauraneさんだそうですが・・単なる偶然です。