小学校の頃は楽しかった。
近所の多摩川台公園で野球をやったり、学校の校庭では男女混合で
缶けりをやったり、手つなぎ鬼をやって遊んだりした。
ところが中学に入って、途端にあの天真爛漫だった自分がいなくなってしまった。
今になって思えば、近所にあったその公立中学校の雰囲気が自分にはなじめなかったのだろう。
そのせいか、中学校になったら大人にならなくちゃ!みたいな気分になって、野球や缶けりをしなくなってしまった。
当時、HAM(アマチュア無線)に凝りだして、電話級の国家試験を受け、2年生には、めでたく無線の免許の認可が降りたのだった。自宅の庭の両端の立木に、竹竿をくくりつけ、その間に電線を張り、小さな無線機の送信アンテナとしたのだった。
春先には沈丁花の古木が香り、その香りの中で、屋根に昇ってアンテナを張った頃のことが、懐かしく思い出される。
まだ中学二年生。14歳だった。
この世に生れて14年しか経ってなかったのに、色々なことを思ったものだった。
このシーカーズの曲は日本では小学校6年生くらいに流行ったと思う。
次のホリーズのバス・ストップも同じ頃。
テレビ番組の「ビート・ポップス」(大橋巨線や藤村俊二が出演していた洋楽紹介番組)で流れていたと思う。
学校で同じクラスのちづるちゃんと、この番組の話題を共有した思い出がほのかな恋心とないまぜになり、
胸きゅんな思い出だ。ちづるちゃんはどうしているのだろうか?孫がいるのだろうか??
そういえば、今は洋楽はもう流行らないと言う。
あの頃は、洋楽はありがたくて神棚の上に奉るような物だった気がする。
大人とは違うぜ!子供(少年や青年)は、洋楽で別物の人間になるんだい!みたいな。
ドメスティックなものに息苦しさを感じて、外の世界に夢を持てた時代だったのだろう。
今の子供たちは何に夢を持っているのだろう。