「おぉ!静かな女よ
ぼくの魂は、夢見るあなたのそばかすの額と
空を漂う天使のような瞳に向けて立ち昇る。
それはまるで陰鬱な庭の中
大きな泉に果てない憂さを写す
白く哀れな美しい秋空に向かって
黙々と吐息をついている
白い噴水のよう
そして黄色い陽の光が差し込み冷たい波紋を作る
風に漂う葉が腐りかけて淀んでいる水の上に
ぼくの魂は置き去りにされてしまうのだ」
黙々と水を噴き上げる噴水が、忠実な人、というイメージに置き換えられ、
風に漂う葉っぱと共に、淀んだ水に置き去りにされる、という自分の哀れな姿を
投影するところに、マラルメの自虐的な女性愛が見て取れます。
この詩、あるいはこの曲集の他の2つの詩を読んでも、同じ性癖が感じられます。
秋の紅葉や誰もいないのに青い秋空に向けて水を噴き出す噴水や、
光が波紋を拡げる淀んだ池の水のイメージが、明快に音楽になっていて、
人の感情という自然現象と外界の自然現象が一致していて、そこに同じ神秘性を
投影するドビュッシーの天才を感じるのです。
この音楽が表現している世界を正に「法悦境」というのではないか?と歌っていて思わされました。
なぜなら、最後の声を伸ばす肉体的な苦しみの裏には快感が感じられるからです。
ドビュッシー「ため息」
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