まったく久しぶりにこちらに声楽の事を書くことになりました。
私が教えている、ある生徒さんがとても良い中低音の声を持っていましたので、その素質を極力短期間で発揮するためには、メゾソプラノという目標を定めて、その上でのレパートリーを、と考えて述べた所・・・彼女いわく・・・
以前教わっていた先生(ソプラノ)から「あなたはソプラノね。メゾはおばあさんや女中さんの役しかないわよ、カルメンは別だけど~」と言われたので、メゾソプラノと言われて少し微妙~です。
と言う言葉を聴かされて、こちらは魂消たわけです。
今時そんなことをいう先生がいるのか!?と。
まず、声域をオペラの役柄でしか捉えられない、狭量な美意識と職業意識です。
職業意識として、自分がソプラノかどうかとは別に、生徒の声の素質を見抜く経験と見識を持たなければいけないでしょう。
そして、声域に応じて、どのような曲が相応しいか、というセンスと知識も必要です。
声楽作品はオペラだけではないのです。それも近代のヴェリズモだけではないです。
片や宗教曲、歌曲、そして古楽、バロック、バロックのオペラ、マドリガーレ、近代音楽、現代音楽の作品群。そして、もちろん、日本の現代音楽に至るまで、様々な作品が充ち溢れている世界です。
もちろん、生徒本人がオペラのアリアを勉強したい、というのであれば問題ないですが、彼女の場合は、そのような希望があるわけでもなく、ただ声楽一般を勉強して見たかったというだけの
ことでした。
これはほんの一例ですが、こういう先生が素人さんたちに声楽らしきものを教えているようでは、声楽の本当の喜びや面白さは、少なくとも聴衆には伝わらないでしょう。
もちろん、きれいなドレスを着て、歌を歌って楽しいだけなら、歌ってる人は構わないでしょうが、
そういうノリが、いつまで経っても日本のクラシック音楽の世界で、声楽が実は今一つ「受けない」
という現状を変えない大きな原因になっていると思うのです。
ある知り合いで、声優さんをやっている方が、声楽が大嫌いだ、という話を聴きました。
その嫌いになったきっかけ、というのが、有名な音大を出た声楽家のリサイタルに行って、あれで
チケット代取るのか!?と驚いた、ということなのでした。
非常に雑駁な話で恐縮ですが、実は音楽の知識がなくても感性のある人であれば、このような
感想を持ってしまう声楽家の演奏会というのは、巷に多く溢れているのです。
人前で演奏することの責任の重さ、を少なくともプロと自称するのであれば、考えなければいけないでしょう。
仲間内でチケットを買ってくれるから、それで良いわけではありません。
・・・・我々は少し考えなければいけないと思うのです。
このことは、続けて書いて行きたいと思います。