FT
中田喜直の「夏の思い出」
声のラインが歌詞のせいで途切れてしまう点を修正。
口の半開き状態を保ったまま、発音することがコツです。
これが感覚的に馴染まないのは恐らく、言葉を扱っている気がしなくなるからではないでしょうか?
言葉をはっきり言いすぎると、発声が悪くなるのです。
この点は、実感しないとなかなかつかめない所です。
夏が来れば、と歌うとき「な」から「つ」に移行する時、あるいは「来れば」の「く」などの時、口の奥が閉じてしまい、結果的に喉も締めてしまいます。
これに対処するために、口先を開けて、上下の歯の間に、人差し指一本分の隙間を開けた状態を崩さずに、「つ」と「く」の発声時に、舌先を良く動かして対処することです。
「母」これも、同じ点が課題です。
トゥーランドットのリューのアリア、以前は苦労しましたが、全体に無理な発声が無くなって、最後の4点bまで完全に出し切って歌い終えられました。
バリトンの喉を持っているだけに、苦労しましたが、あとは無理な発声をしなければ、更に長く歌えるようになるでしょう。
AC
La bonne chanson から、6曲目のAvant que tu ne t’en ailleを練習しました。
全体的な第一印象は、喉がしっかり開いていないで歌っていることでした。
譜読みが不完全であった、ということも理由でしょう。
出だしのPで歌うメッザヴォーチェは、ただ声を小さく出すのではなく、喉をしっかり開けなければいけません。
この理由は、歌声に相応しい息のコントロールがしやすくなることと同時に、低音から高音へ、とつながるフレーズの発声を自在に出来るため、ということ。
喉を良く開けるように口を開けておいて、声は軟口蓋から上に息がふっと出だすように、繊細に声を扱ってください。
彼女の場合は、この良く喉を開けることと、そのために口を縦に良く開ける意識で歌うことが、発声に統一感を持たせるのではないか?と思いました。
良く喉を開けていれば、弱声でも強声でも自在に対応できるはずです。
もう少しわかれば、息を混ぜることもできる。
そうなれば、声の表現性はより大きくなるでしょう。
最後にDonc ce sera par un clair jour d’eteを母音で譜読みし、フランス語の読みを練習して終わりました。
フランス語の朗読は、裏声でなるべく高いキーで練習すると、歌声に良いです。やってみてください。
ST
「叱られて」声そのものの問題はなく、むしろフレージング、あるいはアーティキュレーションという部分に焦点を当てました。
改めて、アカペラで歌ってもらって、歌う側で観察すると良くわかりましたが、声のフレーズの扱いが、単調になっていました。
全体に、どこが単調になる原因であるか?という点を探っていくと、声の響きを強調する箇所、テンポを加減する箇所、という2つの要素が見えてこないことに原因があることが分かります。
その理由は、経験、というものでしか測れないのですが、例えば「しかられて」と歌うフレーズで、「ら~れ~」の部分は、意識して響かせる、というようなことです。
本当は叱られては、言葉としては「し」と「か」が自然に強調されると思いますが、そうではなく声の響きとして、どこに響きのフォーカスが当たっているか?を見極めるのは、理論より経験でしかありません。
他にも、このようなポイントを見つけて練習しました。
このことで、声を大きくしなくても、良い響きがメロディから聞こえてくることで、結果的に届く声になるのです。
これを次の「浜辺の唄」でもやってみました。
細かい音符ほど、注意して扱う、ということが一つのカギになります。
最後にムゼッタのワルツを。
これは、喉を良く開けた発声を徹底しました。
声の響きではなく、息が流れているか?吐いている実感があるか?という基準で歌詞を歌うということ。
例えば、冒頭のQuandoの母音Aは、アーではなく、ハ~というイメージです。
かといって、Haではない。
あくまでQuandoと歌っているのだけど、母音の時に声を出しているというより、息をしっかり吐いている感触がある感じです。