クラシック音楽はお高くとまっている、ということをよく聞きますが、当たり前の話だと思います。
お高くとまっていることが、クラシック音楽の美点なのであって、お低くとまっているようではクラシック音楽にはなりません。
納豆はねばねばがあればこそ、その個性を発揮しているのであって、ねばねばがないなら食べる意味がありません。
同様に、クラシック音楽の高雅な雰囲気、他を寄せ付けない貴族的な精神性を除いてしまったら、後に何が残るのでしょう。
すずめのちーぱっぱみたいに、口をあーんと開けていれば親が餌を与えてくれるみたいに、クラシック音楽の演奏会に行ったら、
懇切丁寧(くどいともいう)な解説をすれば、聴いて解った気になるのでしょうか?
展覧会に行ったら、いちいち解説などみないで、まず絵をよく見てください。
音楽会に行ったら、音楽に耳を傾けてください。
分からない?理解できない?楽しくない?
では、家に帰ってからその分からない音楽のことでも、調べましょうか。
このネット時代、ググればいくらでも情報は転がっています。
芸術作品を鑑賞する、ということの意味は、自分自身と対峙する、ということなのだと思います。
その作品を見て、聴いて、自分がどう思ったか?
そういう経験を重ねて行くことで、自分が分かる。自分の考え方が分かってきます。
そして、いつの間にか真の意味での快感を知ることになる。
そう、芸術鑑賞への対価は自己投資なのです。