昨日は、原宿のアコスタジオにおいて、アトリエムジカCの4名のメンバーによるジョイントコンサート「4人の会」が行われました。
これは、2012年より、アトリエムジカC声楽レッスン教室実施している、少人数による発表会です。
出演した皆さん、熱演の連続で目の(耳の)離せない2時間弱のコンサートでした。
私自身、聴いていてとても勉強になりました。
大きく言うと、改めて声楽って何だろう?声楽の本当の良さはどこにあるのだろう?
ということを思いました。
それは、日本語の歌を聴いているときに感じた事です。
日本語の歌を聴いていると、日本語の歌詞と作曲家が表現したいメロディの形に対して、歌手が必要以上に感情的に歌っていたりするわけです。
それはなぜか?と考えると、メロディのせいなのです。
敬愛する、カミーユ・モラーヌ氏が口癖のように言っていました。「歌というものは、音楽が花瓶だとすると、詩は花そのものである」
これは、日本人から見ると奇異な感じを受けますが、西洋人からみれば、花瓶に花を活けるのがノーマルなので、こういう言葉になると思ってください。
その点を差っ引いて考えますと、詩が主役で花瓶が脇役か?となると、歌は歌詞が主役でメロディは脇役なのか?
と思ってしまいがちです。私も当初はその点が腑に落ちなかった。
あるいは、モラーヌ氏はフランス語を美しく語り歌うのが得意な人だったからそういうのか?と思っていました。
しかし、それは浅薄な解釈だったのだと、やっと理解できました。
詩が主役で花瓶が脇役という考えではなく、それぞれの役割が合体して完成した芸術が成り立つ、という意味なのです。
その意味は、花瓶があるから水を入れることが出来、その水があるから花は活き活きとした表情で、見るものを楽しませてくれるわけです。
また、花瓶そのものが持つ美しさによって、詩の美しさが際立つ、ということも言えるわけです。
冒頭の生徒の歌う日本歌曲の話に戻りますが、花瓶と花の関係を考えた上で、改めて歌うことのコンセプトを考えることが出来ると、よりバランスの取れた声楽の演奏が可能になるのではないか?
そして、そのための技術的な方向性、考え方も見えてくるのではないでしょうか?