自分がフランスのクラシック音楽に開眼したのはドビュッシーやラヴェルのピアノ曲からでしたが、フランス語の歌に興味を持ったのは中学一年の頃に聴いたフランソワーズ・アルディの「さよならを言わないで」でした。
https://youtu.be/s7wIzUOaJ4I
それまで親しんでいた、ビートルズやアメリカンポップスの英語とはまったく違う言葉のトーンに魅了されました。
メロディとあいまった言葉の持つ音やリズムが放つ魅力だったのです。
当時感じていたフランス語の歌の魅力は、英語と違い歌詞が横に大きく流れずに、子音と母音ががポンポ~ンと立ち上がって聞こえるところでした。
それに加えて、メロディもしっとりとアンニュイで、セクシーな魅力を子供心に感じていました。
そんなフランス語のPopの魅力と、フランスクラシックのドビュッシーが結びつくとどんな魅力が?
ということで、当時まだ中学生でしたが、フローレ・ヴェントというメゾソプラノ歌手と、ベルナール・クリュイセンのドビュッシーを中学2年の春に初めて聴きました。
今でもドビュッシーの「ビリティスの3つのシャンソン」を聴くと、中学二年の春の気分をまざまざと思い出します。
単なる中二病だったのでしょうか?
同じころ、やはり家にあったアストラッド・ジルベルトのレコードでボサノヴァにも目覚めました。
この流れは今に続いていて、ジョアン・ジルベルトにも凝って、弾けもしないギターをコピーしたり楽しんだものです。
ところで、当時の日本のメディアには、シャンソンやイタリアのカンツォーネが今よりずっとたくさん流れていました。
シルヴィー・バルタンは、レナウンのCMで「わんさか娘」という歌で一世を風靡しましたね。
彼女は可愛いアイドル顔でしたが、顔に反して低音の響くセクシーな声だったところが、日本のアイドル歌手と違ってフランスらしさを強く感じさせたものです。
イタリアだとミーナが歌う「砂に消えた涙」がヒットしました。
これも家にレコードがあったので好きでよく聞きました。
これは日本語バージョンがあって、ミーナが日本語で歌うのですが、「泣いたのひとりきりで」の「り」をRの巻き舌でしっかり発音するのが妙におかしかったものです。
後年、恋人と一緒にこの曲のハモルところを一緒にハモって遊んだのが、はるか遠く懐かしい思い出です(涙)
言葉が持つ音やリズムが醸し出す魅力、エキゾティシズム、それがメロディに加味されて更に美しくなる。
これこそが外国語の歌の魅力だ、と私は思っていました。
前置きが長くなりました。
この一文を書きながら考えたことは、歌詞の言語そのものが持つ美しさを前面に出せるのがPopsの歌で、美声が魅せるフレージングの妙がクラシック声楽の醍醐味という見方のことです。
私はこのバランスを少し変えてやることで、声楽演奏をより多くの人に楽しんでもらえるようになる、と考えています。
声楽愛好家のすそ野を拡げるためには、欧米の名歌手のコピーを養成することよりも、Popsの歌の美点を忘れずに持った声楽家を育てることにある、と確信しています。