食事もおいしいもの、好きなものばかり食べていると栄養バランスが崩れて、メタボ体型になったり、太り過ぎてしまうように、
選曲も自分の好きなものや得意なものばかり選んで勉強していると、自分の技術が偏ります。
私は長年、フォーレの初期から中期にかけての、メロディのわかりやすい作品が苦手でした。
今になって思うと、それは声楽発声の基礎が出来ていなかったからだ、ということが判ります。
フォーレの初期の歌曲は、明らかにイタリアのカンツォーネに影響を受けて書いている節が見られます。
このカンツォーネこそが、歌のもっとも基本である、フレージングと声の強弱のテクニックを要求するわけです。
フォーレなりに考えて作った結果が、初期歌曲で言えば、たとえば「夢のあとに」や「河のほとりで」「5月」などです。
これらの一見簡単そうに見えるメロディにこそ、フレージングと強弱変化の難しいテクニックが潜んでいます。
これが出来ると出来ないのとでは、歌っている本人の満足感が違います。
満足感とは、良い集中力のことです。いわば、瞑想によって得られるα波が生じるような感覚でしょう。
一方で、フランスの味わいということも、フォーレは考えたのでしょう。
イタリア流の甘さに対して、フランス流の甘さとは何か?
中期になってくると、フランスらしさを考えたのだと思います。
「イスパーンのバラ」「秘密」「愛の唄」などなど、独特の甘さは、イタリアにはないものが感じられるようになります。
これは、流体や液体に存在する質感のようなものを、音楽表現の主題としようとしたからではないか?と私は勝手に思っています。
表面的に見える甘さや緩さは、単なるメロディの表面を覆うパッケージのようなもので、その中身は、後年彼が完成する、
これぞ真性フランス音楽、と呼べる作品の完成を生み出すための、いわば芽のようなものだったのではないでしょうか?