- フォーレの歌曲は、言葉の音のデザイン的な要素に彼の作曲意識は傾いていたと思われます。ドビュッシーにおいては、歌の言葉は音の象形よりも演劇的な意味を音楽に表現しようとしています。その意味では、フォーレの方がより音楽的に純粋。 13:43:59, 2018-08-06
- そのことがより分かったのは、フォーレのLa bonne chansonからでした。
ドビュッシーだったらどう作るかな?と思って子細に見て行けば、まずリズム感がまったく違うのが判るでしょう。詩を語る母音の形とリズム感が、彼の音楽を刺激した部分で作曲されているように思いました。 13:46:37, 2018-08-06
昨日のアトリエムジカCのツイログ2018-08-06
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