グレゴリオ聖歌時代は、単旋律で歌声に特化していることもあり、記譜上のリズム表現のありかたが柔軟でした。
本来、言葉が持っている自然な動律を呼吸と共に音楽に昇華していることが判るようにヴィジュアル化されていると思います。
この時代のリズムの根幹を表現する用語で、アルシス、テーシスという2つの概念があります。
これは平たく言えば、現代の強拍、弱拍に似てる面もありますが、明らかに違うのは拍子ではないということです。
強拍、弱拍は、拍節構造の1拍毎に存在する観念ですが、アルシス、テーシスは波の引き寄せのような塊で動くもの、と理解しています。
下段のネウマ譜で見て判るとおり、何処にアルシスとテーシスがあるか?という判別が自然に出来るように書かれていますね。
しかし、上段の現代譜では、音符の相対的な長短を表現しているだけで、どこに動的な力が配され静的な状態なのか?が判りにくい、と思うのです。
演奏経験の豊富なベテランであれば、この現代譜から自然な歌のリズム感を導き出せますが、現代の拍節構造というフレームに縛られたソルフェージュを経験してしまうと、
アルシス・テーシスが判らないまま、機械的なリズム感を育ててしまうのではないでしょうか?
現代譜で私が提唱したいのは、少なくともピアノ伴奏の歌曲であれば、歌のパート譜を作って、歌手はパート譜を見てピアノとアンサンブルをすること。
大譜表とヴォーカルパートが混在していると、確かに伴奏の音楽の存在が判りますが、歌のメロディの集中力が悪くなるように思います。
メロディラインをじっくり見て歌う、後は耳で判断する、という音への集中力が増すでしょう。
従って、ピアノの方は大譜表だけを見て弾く、あとは歌声に集中する、という具合。
面白そうです。