ただいま夏休み中。

つい先日のこと。昼食後に椅子に座り庭に干した洗濯物が風にゆらゆらと揺れる姿を眺めながら、何となく心が落ち着くことに気づいた。
それで思い出したが、自宅で南風が吹くと、隣家の郵便ポストのふたが風にあおられパタ~ンパタ~ンと軽やかな音を立てること。
これも、その音に心が癒される。

両者に共通する感覚は、心が落ち着くことだ。
それは快感でもあるし一種の催眠効果もあるのだろう。

心が程よく揺れるのだろう。
子供が揺りかごで揺れると眠れるのに似ている気がする。
そういえば、催眠術で眼前の振り子を凝視して催眠状態にするのがあったと思う。

音も動きも同じ効果を感じる。
揺れる動きや上昇下降、速度感、重量感。

物理の原理は目に見えているものだけではなく、耳で聞こえるものにも同じ効果をもたらすはずである。

そういえば幼稚園に入る前くらいのこと。

裏の家から、ド~ソ~レ~ラ~というヴァイオリンの調弦の音がして恐れ慄いた記憶がある。
あるいは、知り合いのおばあちゃんがお菓子の空き袋に鳴く虫を入れ持ってきてくれ、それが夜中に鳴き出して驚いたこと。

それらの音に対する自身の驚きと感動の記憶が、今の仕事につながっているのは確かだと思う。

武満徹の音楽には、この自然現象が生み出す音の快感があるように私には感じられる。
youtubeで見た彼のインタビューで、聴くということの意味を語っていたのを覚えている。

ベートーヴェンのソナタ形式がどのような構造で、それがどのように美しいか?ということは音楽を聴いたということに当てはまらない、と。
もっと虚心坦懐に、音を直に受け止めること。
結局それは生きていることへの喜び、対象への愛という意識が大事であると語っていた。
音楽が持つ可能性とその深さを思った休暇中の出来事だった。