ドビュッシーの歌曲作品中、特に初期から中期にかけてはソプラノ向けで退嬰的な雰囲気の作品が多く、古典的な純クラシック的サウンドとは異質な趣がある。
それは書法が長調と短調の世界ではなく、多種類の旋法を使っていること、それに合わせた柔軟な和声法を使っているため、古典的な和声法では禁忌とされている用法が多用されているせいもある。
またリズム構造も、意識的に強拍弱拍の古典的な構成を避けて書かれているケースが多い。
(余談だがエンマ・バルダックと一緒になって以降の作品は、どこかフランスの古典を目指すような、あるいはより前衛的で柔軟な音楽に大きく変化している。多くの作曲家がそうであろうと想像されるのは、やはり声楽家のために書いていると思われる点にある)

この19世紀末という時代の欧州でも中心地であったパリは、欧州世界より外の音楽や文化に数多く触れられる機会が多くなったた時代でもある。
当時のパリなどは、中産階級の音楽の楽しみとしてオペラやオペレッタが盛んであったが、文学者や絵描きなどは欧州以外の文化の影響を受けるようになり、ドビュッシーが職業音楽家ではなく文学者や美術家との付き合いを意図的に多く持っていたせいで、これらエスニックな文化の影響を自身の音楽の世界に利用した節が考えられる。

つまりドビュッシーは中産階級のオペラ、オペレッタ愛好家を作曲の対象にしていなかったと言えるのではないだろうか?
必然的にオペラやオペレッタ的な歌声や歌唱法とは違う趣になる声楽作品を書くようになったのである。

不思議なことに、ドビュッシーが目指したことが結果的に今日のJazzやBlues、Popsの音楽を思わせるのは、
欧州で洗練された音楽以外の世界では古くから存在したサウンドが、現代のPopsに色濃く残っていることと結果的に繋がっていること。

その意味でドビュッシーの音楽は現代的である、と言えるだろう。
つまり現代化とは大衆化と言い換えても過言ではないだろう。