子供のころは、芸術といえば西洋絵画やまさにクラシック音楽と呼ばれるものであったと思う。
西洋万歳!の時代だったというより、自分の周りがそういう大人ばかりであった。

父親がバッハの音楽を好んでいて、口を開けば「バッハは絶対音楽だ、ロマン派の音楽は主観の世界なので格が落ちる
」というようなことを言っていた記憶がある。
だからというわけではないが、私はバッハの作品に対しては何でも好きとはならなかった。

中学生になると、子どもは大人になるべく準備しなければならない、という気分になっていた。
それは一般的にそうなのか?分からないが、なぜだかそういう気分になっていたのだった。

そんな気分の中で私はドビュッシーの音楽に開眼した。
よく理解できないながらも、ヴェルレーヌの詩を読んだ。
だが、詩を理解できるようになったのは、後年の宮沢賢治との出会いからだった。

武満徹は音楽というよりも、その文章から親しむことを覚えたのだった。
彼はオペラも歌曲も残さなかった。
どうも日本語と西洋の楽器が奏でる音楽がマッチしないという感性だったようだ。
それは声楽家の歌声というものを好まなかったということもあるだろう。

そういう、言葉に対する繊細で厳しい音楽性に共感を覚えたのだった。

寺山修司と宮沢賢治については別に書きたい。

宮沢賢治に関しては、最近は有名な「雨ニモ負ケズ・・・」を覚えて心の糧としている。
この詩とも遺言ともとれる文章は、彼が死の床でメモ帳に殴り書きしたものだ。
この文章に対して宗教的あるいは道徳的な理解をする人も多いようだが、それは大いなる誤解だと確信している。