寺山修司である。
中学というより、高校以降に注目するようになった。
彼の生き方や言葉に憧れた。
あの頃の自分にもう少し覇気があったら、天井桟敷に飛び込んだかもしれない。
というのも高校を卒業して付属の一般大学に入ったものの、通学のあまりの遠さに辟易してゆく当てのない自分を導いてくれそうな気がしたから。
あの頃の若い青年達には絶大な人気を誇っていたと思う。

何しろ「書を捨てよ街に出よう」と言った人だ。
興味がある人は、ツイッターに寺山修司のbotが2つあるフォローするとよくわかるし、youtubeに映画の断片がたくさん載っているはずだ。
動画の中で最も面白いのは、彼自身がインタビューで語っているもの。
東北人らしい訥々とした語り口ながら、射的の的をすべて正確に射貫くように思える言葉の連続が実に興味深い。

彼の演劇論は、一言でいえば極めて個人的な詩の世界の発露の一手段である。
旧来のプロの役者が演じる商業演劇の対局を行くものに結果としてなったから、見方を変えればアマチュアリズムである。
彼自身、「杉村春子が演じる「女の一生」を見るよりも、街角のタバコ屋のおばあちゃんの話の方がリアルで面白い」と語っていたことに象徴されるだろう。

1970年代のあの頃、彼の作品や言葉に接するには、演劇と映画と本とテレビだった。
今の時代に彼が生きていたら、インターネットやスマホをどう捉えていただろう?
彼は虚構の世界を作り上げる天才だったから、今の時代だとその虚構をネット上でやたらと攻撃されるのかもしれない。
ある意味つまらない時代になったのか?