TH
発声の声は、下あごの抑制と声量を意識して、軽く綺麗な声を意識しているようであった。
Vilja-Liedでも、明らかに高音の発声から力みが消えて来たのが良く解った。
以前からも指摘している通り、この高音発声の力みの原因は、声量とそのための下あごの突っ張りである。
イタリアオペラの、ある種のドラマティックな歌唱を歌うようにして、このオペレッタの優しい歌を歌うのは、似合わない。
優しさという表現とか、軽やかさを歌声で表現すべく、このオペレッタの曲は書かれているからである。
オペレッタがいかにミュージカルに影響を与えたか?が判る作品である。
ピアノを弾きながら、サウンド・オブ・ミュージックを想い出していた。
そういう作品は、立派過ぎる声量たっぷりの声よりも、軽やかで優しい歌声が相応しいことは容易に考えられるであろう。
次のシャルパンティエのオペラアリア「ルイーズ」の「あの日から」
これも、軽やかな細く女性的なキャラクターを出すことが大事な音楽である。
大分練習を積み重ねてきたが、ようやく軽く出す高音発声のコツをつかんだようである。
口をあまり開けない、ということは下あごを大きく降ろさない発声である。
このことで、太い弦を短く使って強く弾くような発声ではなく、細い弦を長く使うような感覚を会得できたのだと思う。
いずれも2回以上通したが、まったく問題なく通すことが出来た。
MO
発声練習の様子を見ると、おとがいに力が入ってる様子が見えた。
いわゆる、あくびをする発声だが、その事による弊害も危惧された。
つまりこれまでも苦労してきた高音発声が難しくなる原因であった。
発声上は少し後戻りになるが、ここで喉の使いかたの偏りを治すため、完全脱力による発声を試みた。
つまり、余計なことを一切しないで、喉そのもので単純に声を出すという方法である。
とはいえ、これまでの蓄積があるはずで、ブレスをして横隔膜を支えて呼気の無自覚な吐出を抑制すること、は出来ていると考えたこともある。
作り声をやらないということを徹底させることで、喉の柔軟性を取り戻し、自然に高音発声に到達できるようになること。
その後に、声の色を加えて行くために、どうするか?という発想を以て練習を重ねて行きたい。
トスティのソルフェッヂは10番であった。
声は問題なかった。それよりもフレージングである。一小節単位で拍子を感じるのではなく、フレーズを大きく取って感じること。
音符で声を置きに行かないで、フレーズの線を一息で歌おうとすることを指導した。
イタリア歌曲のDimmi amorなども、充分な声色と音程感で、ナイーブな歌を聴くことが出来たと感じている。
「落葉松」は高音まで安定して歌えていたし、「初恋」はメリスマの歌い方を練習した程度で、ほぼ今日練習した発声を応用出来ていた。
いずれも気を付けるべきは、中低音の声が出しやすい音域で、低音の魅力的な声を作らない事が肝要である。
自分も若いころ、先生に良く言われたのは「基礎の発声はテノーラルな声を作る」ということであったことを、指導しながら思い出していた。