演奏論
ラヴェル自身の演奏
独特の精神世界が良く感じられる演奏だと思います。
音符で見ると16分音符和音の繰り返しですが、水がちょろちょろ流れているようなイメージが良く感じ取れます。
鐘の音もいろいろな表情を出しながら伝わってくる感じがします。
実に表現豊かではありませんか!
自分たちが若いころは、このような昔の作曲家が演奏した録音など聴く術もありませんでした。
今は本当にありがたい世の中になったものと感慨深いです。
クラシック音楽の演奏技術はハードルが高いもの
明快なのは声楽。
例えば歌えるか歌えないか?という最低限のくくりでみるとその差は歴然とします。
声を楽器のように仕立てるか?あるいは喋り声の延長で歌っているか?というくらい違うものです。
楽器演奏はどうか?
楽器は物体として完成されていますから、後はそれをどう扱うか?という奏者の楽器を扱う技術力に絞られます。
しかし、声楽は楽器を仕立てるところから始めなければなりません。
その分が楽器にくらべると難しいのです。
楽器を扱う技術の差とは?
例えば、私も多少弾けるピアノを例に挙げてみます。
同じ曲をプロのピアニストとアマチュアのピアニストが弾いた違いを聴き比べます。
もちろん、この場合ミスタッチやテンポの違いはないものとしてください。
一般の聴衆は声楽ほどの違いを感じないでしょう。
それは楽器が完成しているからです。
違いを感じる部分は、それを扱う奏者の技術力の差でしょう。
この技術力の差とは、タッチの正確さや滑らかさ、細かい音符の粒ぞろい等々・・・。
演奏技術の基になるものは何か?
それは技術を駆使しようとする、演奏家の動機付けとなるはずです。
その動機とは、ひとえに対象作品をどう理解しているか?ということになります。
私は作曲家が自作のピアノ作品を演奏するのを好んで聴きます。
多少のミスタッチやタッチの不ぞろいがあったとしても、作者の意図に添って自由に音楽が奏でられているケースが多いからです。
作者がイメージした風景や感情が、みずみずしく音になって表現されているからです。
ここから判ること
読譜の時点で作者が意図した世界はどういうものか?
ということを考えたり想像をし、音楽を創り上げることではないでしょうか?