フォーレ「それはやるせない夢心地」

この伴奏の左手の細かい裏打ちの和音については、フランス歌曲の世界に踏み込んだ当初から伴奏者たちが先生に良く指摘されていたことを思い出すのです。
裏打ちのリズム感をなるべく出さないようにということでした。
出すな!と言われても実際にそう書かれているではないか?と当時は反発したものです。

長い間この意味が解らなかったのですが、自分なりにイメージが出来たのでご紹介します。
もちろん、私の主観であることをご理解ください。

右手が弾くレ~ラという鐘の音を思わせる短いモチーフが鍵です。
つまりこの鐘が鳴るとその響きが出す倍音がワーンと空間に広がる様を、この裏打ちリズムの短い和音の連なりが表現している。

そう思って弾いてみると、最初のレの次のラを叩いて出た倍音の左手が自然に減衰するイメージが生まれるため、次に出るオクターブ上のレまでの歩みがほんの少しだけ遅くなる、という具合です。

当然のことですが、右手のモチーフのレーラと左手の裏打ち和音の連なりが、とても密接になっていることも、強く実感されるわけです。
強く実感されるから、その響きの揺れのようなものが、リズム感のかすかな揺れとなって感じて弾けるでしょう。

当然、裏打ち和音がどのくらいのダイナミクスで弾くべきか?ということも、自ずと判るはずなのです。
そして、それらは歌手のフレージングとの間合いによっても、変化させられるわけです。

冒頭部分を自分のイメージ通りに弾いてみました。(一部、間違った音を叩いてます)

書いてあることを書いてある通りに弾く、という言葉は、あたかも作品に対して中立公正な立場であるという印象を与えますが、
実は、考えなしに音楽に向かっていることになってしまわないでしょうか?

直感で良いですが、奏者が確かに「判った!」と思える感覚があれば、それは尊重すべきです。
しかし、良く判らないこれは何だ?と疑問に思うことがあれば、それは無視せずに(しばらく放置でも良いですが)答えを出すべく熟考すべきでしょう。

奏者が作品に対して真の納得を得ることで、真の良い演奏につながるのではないでしょうか。