ドビュッシーの音楽には、5音音階の旋律を使って作曲された音楽が比較的多いです。
五音音階と言えば、我々は日本の伝統的なサウンドを想像します。
確かにドビュッシーは日本の音楽を聴いており、それに触発された節はありますが彼の音楽の中では、エキゾティックな日本のイメージとして書いた例は少なく、
むしろ、ギリシャ的漠然とした古代回帰のようなイメージであったと思われます。

ここにご紹介する2つの曲には、明らかにそういうイメージがあります。
イメージの中に死後の世界、黄泉の国というイメージも強かったはずです。
ドビュッシーの音楽は、巷間思われている印象派というよりは、ずっとスピリチュアルな要素が強いのではないでしょうか。

しかしながら、ここにご紹介する「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」出だしの旋律が、どこか「君が代」を思わせるのですが、そう思うのは私だけでしょうか?
「君が代」は1893年に正式に日本の国家として出来上がっていますので、1900年のパリ博覧会では、恐らくこの音楽が演奏されたに違いないと見てます。

次の曲はピアノ曲です。
どうして上の曲と並べたかというと、描かれている世界が似ているように思ったのです。
ギリシャ的な黄泉の世界を描いているように思います。
ラモー礼賛というタイトルにしては、我々にはラモーの音楽が到底想像が出来ないのですが、冷たく暗いあの世の世界が見事に描かれていると思うのです。
むしろオルフェとエウリディーチェがこつこつと歩き進む、あの世とこの世の間をつなぐ暗く長い洞窟を思わせます。

このフランソワ・シャプランというピアニスト、寡聞にして知りませんでしたが、素晴らしいドビュッシーですね。
音楽がオーケストラのような多彩な音色とリズム感によるアーティキュレーションが演奏の芸術性を高めています。
結果的にテンポが遅めですが、それはまさにオーケストラだからといえるでしょう。
こういう演奏ならば、テンポが遅かろうがちっとも退屈しないですね。

響きとリズムが新たなメロディを偶然のように生み出していく、という現代的作曲技法を確立したドビュッシーにふさわしい演奏と思います。

ドビュッシーのピアノ作品はオーケストラを想起させるものが多いですが、フォーレのピアノ音楽はどこまでもピアノという枠内での美という感じです。