セルゲイ・クズネツォフによるドビュッシーの12の練習曲集を久しぶりに聴きました。
夜も遅いので、半音階のために、までで止めておきました。
残りは明日の、厳密には今日の夜にまた聞きましょう。
この作品は音大に入る直前辺りから、何度かLPレコードで親しんできました。
ピアニストはミシェル・ベロフのものでした。
彼の方が4度のためにはうまいですね。
この曲のモダンさをうまく出している。
いつも思うことですが、ドビュッシーの天才は、その明晰で単純なフォルムで音楽的な幻想を描けることにあると思います。
理論的には正しくても、複雑怪奇で迷路のような音楽は決して描かない。
そういう意味で、彼は、いやフランスの作曲家はとても人間的だと思うのです。
難しい理屈は置いて、私がドビュッシーの作品に惹かれるのは、音楽に色気があるからです。
何処とはなく色っぽくて華がある。
音楽にはそういう人間の持つ本能的な要素が欠かせないと思うのです。
ところでこのセルゲイ氏、ドビュッシーが得意というわけではないが、この難曲に挑戦という意味合いがあったのだと思います。
どちらかと言えば、ロマン派の作品が向いているのでしょう。
3度のためにとか6度のためにとか美しく弾いているのがその証拠。
それにしても、ピアニストも大が小を兼ねるではないですが、音色の幅が大きいですね。
フォルテもどでかいが音は綺麗だ。
ピアニッシモも良く出せている。
しかしこの曲集を暗譜で弾けるって、どういう頭してるんだ?と思います。声楽家的には!(笑)
声楽家もそうですが、ない体でどうやって表現するか?という点で、我々はよほど頭を使わなければならないと思います。
それにしても、若いころに何度も聞いた作品を聴くと、あの頃のみずみずしい感性が蘇る気がします。
音楽をやることの意味は、こんな情熱を持ち続けられることなのかもしれません。