武満氏の作品には、現代音楽という範疇として私の耳に聴きやすくまた高い芸術性を感じられます。
いろいろ思うことがあったので、彼のRiver run という曲を自分のイメージで動画にしてみました。
多摩川の河原を散歩していると、都会の川筋らしくいろいろな物音、人の声や楽器を慣らす音、猫や犬が泣く声が聞こえてきて、夜にもなれば対岸のビル群の明かりが美しく、
都会の風景と自然が合体した何とも言えない風景を楽しめます。
この音楽を聴くと、あたかも河原を歩いていると耳にする音の雑多な音のエコーを想起させるのです。
そしてどう聴いても夜想曲だと思うわけです。
そのため夜景を使いました。
音楽は、ピアノの音とオーケストラの音が違和感なく配置されているし、武満特有のオーケストレーションがゴージャスな響きの世界を堪能させてくれます。
ただ、時間がどうも長いと思うのです。
この尺であれば、途中区切って2部あるいは3部構成にしても良かったのではないか?と僭越ながら思いました。
個人的に武満氏のオケ作品全般に、冗長な印象が残ります。
それは単に長さという尺度よりも、時間という枠から逃れられない音楽の表現方法の限界をも思うのです。
どれほどゴージャスな響きやそのための音楽的なスタイルを構築しても、その音楽的時間に身を委ねなければならない人間の感覚にとって何が大事な要素なのか?
それは響きだけではなく、音の連なりが表現する形とその連続性と遮断が見せる起伏でしょうか?
つまり時間を忘れさせてくれるリズムと旋律が形作る音の集積や対比、という部分を意図的に人間が生み出さなければならない点が作曲家の悩ましい部分なのでしょう。
この作品もそうですが、武満氏の作品は自然の物音や自然界が発する音を「音楽」という表現として再創造している面が大きいと思われます。
もしそうだとすれば、作品の長さというスタイルに、もう少し意図的な方向性や哲学を明快に見せなければならないでしょう。
現代音楽とか前衛音楽と呼ばれるものは、実験という段階を過ぎて社会的な存在としての価値を探さなければいけない時代に入っているのではないでしょうか?