クラシック音楽は至高の芸術か?
仕事の一巻であるクラシック音楽について考えた。
一言で言えば骨董美術ではないか?
クラシック音楽と括られるものは一般で言われているよりも狭い範囲のものではないだろうか?
少なくともルネサンス期以降の、欧州で作曲された音楽であり、時代的に19世紀までのものと決めて良いと思っている。
たとえば、私が専門に勉強してきたフランスの歌曲で言えば、ベルリオーズ、マスネ、グノー、ビゼー、デュパルク、フォーレまでであろう。
その姿が様式的であるため、芸術的には様式美ともいえるだろう。
このように伝統を踏まえた様式美で表現されている音楽を「クラシック音楽」と呼びたい。
かつて父はクラシック音楽の「普遍性」ということを良く言っていた。
恐らくキリスト教のカトリックが持つ「普遍」という思想と重なっていたのだと思う。
しかし、現実は英語が世界共通語になったために、クラシック音楽が普遍芸術と呼ばれる地位を得られたのではないだろうか?
政治的パワーバランスによって、クラシック音楽=芸術と信じて疑われなくなったのだと思う。
あるいは商業的にでも同じであろう。
レコードの発達、メディアの発達によって、欧州の白人主体の音楽が世界に広がって行った。
一体日本以外の東アジアの国々、あるいは西アジアやアラブ世界、そしてアフリカ諸国で一体どれだけクラシック音楽が普及しているだろうか?
世界のローカルな古典芸能には、現代の観点から見ても「芸術」に値するものは多い。
また現代の音楽でも、Popsのジャンルにはクラシックの名曲に匹敵する演奏がある。
そう、演奏の問題が作品の価値を高めうる割合はPopsの方が大きいかもしれない。
実はクラシック音楽も、作品そのものの質もあるが演奏能力によって作品価値は高まる面も大きいだろう。
クラシック音楽には素晴らしい作品が多いが、それが普遍的なものであるかどうか?
改めて考えてみる必要があると思う。
つまり良い演奏さえすれば、誰にでも受け入れてもらえるかどうか?
改めて考えてみる必要はあるだろう。