7月末からの入院と療養生活の中で得た愚昧な知恵は、ネットのメディアや自宅のレコードを聴くことでした。
今更!と思われるかもしれませんが、元気な時はそれほど真剣にレコードもメディアも聞いていなかったのだと気づかされました。
自分の練習と生徒たちのレッスンに邁進し、ゆっくりと音楽を聴く余裕がなかったのです。
入院中はyoutubeやスマホに保存したドビュッシーのオケ作品を良く聞きました。
作品が持つ新たな側面が発見出来たことは、私の心の中の宝物です。
また、自宅ではドビュッシー以外の音楽、バロックでも特にバッハの美しさに改めて目覚めました。
現在はドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」のLPレコードを最初から少しずつ聞き始めています。
このような作品を耳だけで聴き通すのは無理です。
聞き流すだけになるでしょう。
歌うフランス語の理解は完璧ではないですが、多少の理解力はあります。
そのため、短い場面を理解しながらこの劇音楽作品の持つ本質を考えています。
先ほどペレアスとメリザンドが初めて二人きりになった場面を聴きました。
水辺でメリザンドがゴローからの指輪を水の中に落としてしまう場面です。
2人の会話の中にある微妙な感情の揺れが会話(歌)のテンポ感やオケの音楽に表現されています。
それは2人が恋に落ちようとする心の暗喩でしょうか?
さすがドビュッシー!(笑)いえ、笑ってはいけませんがドビュッシーはこの辺り上手だと思いました。
いや、やはり天才と呼ぶしかないでしょう。
今回腑に落ちたことは、フランス語が持つ音楽的な美しさについてです。
ここにこそ、ドビュッシーがこの作品に精魂を傾けた意味があるのです。
歌にしないで語りを音楽にすること、にです。
そのことでオーケストラの音楽に言葉を載せて、一つのフランス語音楽による劇作品を創ったのだと。
「ペレアスとメリザンド」がワーグナーから受けた影響は大きいですが、大きな違いはそれがフランス語であるということだけで充分でしょう。
それだけで、音楽の持つ独創性は達成できていると思いました。
この点において字幕スーパーの存在は音楽表現と別物だと思ってます。