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なんだかもう色々なことがあって、感情の起伏が激しくて、書こうと思いついた断片みたいなことは幾らでもあったのだけど、忙しくてそれらは泡のようにどこかへ消えてしまった気がする。
そう、3週間前に禁煙を始めた。
なんと35年も吸い続けたタバコを止めたことの発端は、ある種の怒り、とでも言おうか。
言い尽くせない、心の中からの嫌悪感と怒りだったのだ、と思う。
そして今思うのは、これも私のこじつけだけど、肺の病で死んでいった母親の、あの世からの後押しがあったのだ、ということ。
そんなスピリチュアルなことでもなければ、どうしてこんなに簡単に止めることが出来たのか?
自分でも不思議なくらいである。
50分の35といえば、これはもうカルチュアーとしか言いようがない。
禁煙が危なかったのは、2週間目だったろうか?
怒りと悲しみの感情がふつふつと沸き起こった時だった。
タバコでも吸わなければとてもやっていられない感情だった。
でも、思い留まった。
酒でも飲めれば多少は気も晴れただろうに、酒はからきしダメなのだ。
それから色々あるのだけど、テーマの中心は「老い」への恐れである。
いやいや、齢50で老いを語る資格などあるはずもないのだが、身近なたった一人の家族に病が芽生えると、さて残るは俺1人か?と我が身に事問えば、老いのことしか考えがないだろう。
違うか?
自分、ペシミストではないつもりだったが、正直、この先やばいな~と考え込んでしまった。
実生活のことではない。掃除洗濯だの飯を作ることなど、なんてことはないのだ。
いわば、精神の支柱みたいなものだろう。
人間に限らずつっかえ棒は必要なものだ。それがないと、ころ~んと倒れてしまう。
人生って明日どう転ぶか?判らないものだ。若い頃はこんなことに思いも寄らなかったが。
すっかり気が弱くなった気がする。
さて、今日は九段坂上、靖国神社の裏にある、白百合学園の文化祭に行ってきた。
生徒がESSに入っていて、ミュージカルの発表があったのだ。
中学~高校の女の子達、みな可愛くて、自分子どもがいたら本当に目に入れても痛くない、ということだろう、
と客席をにぎわしている妙齢のおじさんたちを見て思った。
それにしても、学費高いだろうな~とか、お母さんたちのおマダム振りを見ていると、その人間模様が想像されて
つくづく、自分には縁のない世界だと思った。
写真は行き帰りの靖国神社。中身はともかくなんだかここだけ超一流の空気が漂っているのが面白い。
これはほとんど国家施設だね。
禁煙して不整脈は激減した。
ただ、車に乗って気分が良いと、吸いたくなるな~。
それにしても現愛車、ルノーのルテシアは乗っていて気持ちの良い車だ。