音大入りたて当時、学校の給食みたいに出てくる練習課題の曲は、押しなべてイタリアの歌曲やオペラのアリアが多かった。
そうだ、あの給食に良く出てきたスパゲッティナポリタン。別名焼きウドンのケチャップソース煮のように!
テノールだった先生の影響もあったのだろう。
今となってはそれらを勉強する意味は現実的に必要であったことは理解できている。
プロになる、ということは、プロとしてやっていけるマーケットの需要に応じたレパートリーを早く作らなくてはならなかったし、声も作らなくてはならない。
イタリアロマン派以降の声楽曲を中心に勉強させられたのは当然のことだったのだ。
だが、残念なことに当時私はこれらの作品が嫌いだった。
何よりあのヒロイックな音楽の調子や、甲高い声を嫌でも強要させられる音楽が嫌いだった。
だから、音大の先輩や同僚に良くいたテノールのテンションの高い自己満足一杯の歌声には辟易させられたものだ。
女の子なら、その原始的なフェロモンや母性愛をくすぐる自己満足の喜びに、一時は夢中になれても、前衛アート好きな生意気な若い男の子を感動させることは叶わなかった。
その後、大嫌いだったイタリアものがまったく違う姿になって、私の目から鱗を取ってくれたのだった。
日本で聞いたウィリアム・ウー氏のロッシーニの歌曲、パリの旧オペラ座近くにあったアテネ劇場の月曜コンサートで聞いたホセ・カレーラスの歌ったトスティ、圧巻はオペラ座で聞いたアルフレード・クラウスによるウェルテルのアリア!
当たり前だよと言われそうだが、本当の声楽家というものは、世界にそう何人もいるものではない、と悟らされたものである。
イタリアを中心とした、多くの人々に熱狂を以って迎えられる作品は、誰もが熱狂するだけに、歌い手の質の高さをとてつもなく要求してしまう作品なのだ。
逆に言えば、それらの作品は超ド級の声楽家を際立てるため作られたのである、と言えるだだろう。