ちょうど高校からエスカレーター式にお情けで入れた大学入学を目前の春休みのこと。
ぼくは兄貴が転勤で住んでいた高岡に遊びに行った。
そんな弟の面倒はみなければなるまい、と、車で金沢まで連れて行ってくれたのだった。
車窓風景は、みぞれ混じりの春の雪がちらついている、見渡す限りの田んぼばかりだった。
さすが金沢100万石、という古臭い言葉を兄貴が言ったのを覚えている。
車のラジオからは、その頃とても流行っていたスリー・ディグリーズの歌声が聞こえていた。
When will i see you again?
When will be share precious moment
という歌詞だったと思う。
金沢でコーヒーの美味い喫茶店があるからと入ったことも覚えている。
覚えているのは、後は車は旧式の弁当箱みたいな赤いクラウンだった。
兄貴はあの頃からクラウンが好きだったのだ。
後の休日は、高岡からローカルの電車に乗って、氷見という港町に写真を撮りに行ったことを覚えている。寒くて曇り空で、港から何かが見えるかと思っていたのだが、大した景色はなかったように覚えている。
思い出なんてそんなものだ。
だが、確かに実感するのは、あの時のみずみずしい自分の感性が、今はもうなくしてしまったものなのだ、ということ。
むかし、むかしの有名な詩人さんが言っていたけど、確かに「汚れちまった悲しみ」というやつだろう。
3月になると思い出すあのみぞれ混じりの雪。
あの兄貴ももう還暦で自分は50を過ぎる年になった。
兄貴はあの頃と変わらず、休日には部屋でJazzを聞いている。
そう、Abbey lincolnのCDでも貸してやろうか。
ふと思い出したこと
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