今日もフォーレの「出会い」のレッスンでした。
どうもピンと来なかったので、最後にもう一回取り上げて見ました。
テンポを微妙に遅くして、その分マッタリとレガートに、真っ直ぐに歌うように指示。
ピアノのアルペジョも静かに極力滑らかに。
そうすると、あら不思議!
あれほどざわざわしていた曲が、何とも切なく哀しい恋の歌になったではありませんか!?
子供がダダをこねていた恋歌が、ぐっと大人になりました。
レッスンでも話したことだけど、あたかも上品な青年、うぶな青年が、とつとつと語る切ない恋の思いが
伝わってきます。
そんなことをレッスンで語り聞かせるときに、自分の経験が言葉を語らせてくれるのでした。
こんな時にこそ「年の功」とか「経験」がものを言うのだな、と自画自賛。笑
いや、冗談ですよ。
言いたいことは、良い経験を少しだけで良いからすべきだろう、と思ったのです。
この「少しだけ」というのが大切だと思いました。
今の世の中は、何でもありの自由で、まるで野放図です。
こういう社会から、美しい、という言葉に価値が見いだされるのでしょうか?
と、ちょっとのことで壊れてしまう美しい作品を扱うことの難しさを感じました。
うぶな美しさ
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