フォーレのピアノ音楽が好きな理由は、シンプルでスタイルが明解であること、甘過ぎずに適度な苦みのコントロールがあることでしょうか。
大事な点は、どの曲も長すぎないこと(笑)
私はどうも長編小説が苦手ですが、音楽も長いのが苦手です。
それから、過度な興奮を強いてこないこと。大向こうを狙っていない。
フォーレは、良くも悪くも男性的な音楽だと思います。
モラーヌ先生もフォーレがお好きで、いつもIl est très modesteとおっしゃていました。
プーランクがフォーレの音楽を好きになれなかった理由は、この点にあるのかもしれません。
音楽が音楽らしくあるのは、芸術作品の中でより抽象的な表現でありながら、人間感情の分かりやすさにスポットが当たっているという点でしょう。
フォーレやドビュッシーのフランスの音楽には、この抽象性がより文学性を帯びている点に特徴があると思っています。
フォーレはドビュッシーよりも、短編小説風であり、ドビュッシーはより戯曲的(演劇的)な傾向があります。
つまり、フォーレの音楽は、独りとつとつと短編小説を読む醍醐味にあります。
というか、本そのものです。装丁や筆記体、ページの紙質や挿画の芸術性、のような部分のこだわりです。
ドビュッシーはむしろお芝居のセリフに魅力を感じるようなところがある。
これは、プーランクも同じですね。
いずれにしても、ここではフランス語というものが鍵になっています。
さて、ラヴェルは?といえば、ラヴェルはもっとも他の国の抽象的な音楽性と通じるところがある作風ではないでしょうか?
その意味では、インターナショナルな存在になっているかもしれません。
フランス語的な言語性よりも、より抽象性が高いということではないでしょうか?