NA MT
ペレアスとメリザンドの合わせ。
譜読みが心配だったが、問題はなかった。少しテンポに乗り切れない所もあり、指揮をしながら、タイミングやテンポを決めていった。
決めながらも、音楽の扱いも気になり、歌い方を指摘した箇所は数箇所。
メリザンドの冒頭の塔で髪をくしけずるアリアは、オペラらしい声の扱いで、本番の響きが今から楽しみ。
低音がまだ厳しいところが幾箇所か。Qui est la?は、音程より、言葉が聞こえれば良いと思う。
音を出すより、息を吐いて語るように、Parlandoが出来ると良い。
それから冒頭の歌唱の後は、ペレアスとの掛け合いがほとんどになるし、常にペレアスに問いかけられて答える形になるので、
その出のタイミングは、実はペレアスより難しいのである。
基本的に、入りが絶対に遅れないように、充分そのタイミングには気をつけて欲しい。
そして、実際のテンポより大分ゆっくり目だが、それでもフランス語の語りになるので、早口になる。
8分音符で語られるフランス語の発音には充分注意をお願いしたい。
リズムが6/4なので、常に6つ振りで数えておく方が間違いが無いだろう。
「私はこれ以上身を乗り出せないわ!」と激しく語るところは、メリザンドの一つの山場である。
大切に。
最後の「ゴローだわ!」と怯えるような恐ろしいような語り口、感情と演技を充分考えて欲しい。
そのために、テンポが重くなっても構わないと思う。次回は、練習したい。
これは、ペレアスも同じなのだが、ペレアスはただただ焦っているだけで、この場合ペレアスの方が子供っぽいと思う。
ペレアスは歌はよく歌えていた。大体が、ちょっとした発音の間違いや、フレーズの歌い方に及んだ。
塔からメリザンドの髪が落ちてくる場面、最後の高音に昇るところは、充分アッチェレランドを。
また、その後でメリザンドの髪を柳の木の枝にくくりつける箇所は、この第一場の中でも最も美しい箇所であろう。
語るところと、レガートに歌う違いを、良く切り分けてほしい。
レガートに歌うところは、必然的にテンポが重くなっても構わないし、当然だと思う。
それにしても、改めて教えてみてこの作品の素晴らしさを逆に教わった気がした。
ドビュッシーのある種の美学が、この作品、この場面には集約されているように感じられたのである。
いつもは、自分が歌う立場だったのに、その美を教える側に立って歌えないで、指導することの、もどかしさを感じてしまった。
いや、もどかしさではなく、一種の嫉妬に近いくらい。笑
蜻蛉よりも短い一瞬に燃焼し尽くす恋人達のほんの一瞬の愛の営みに、ゴローがどれほど嫉妬したか!?
自分が教える側で、ゴローになったのか!?と思ったくらいである。
二人ともくれぐれも良く勉強して、本番に臨んで頂きたい。
アンサンブルの後は、それぞれのソロを見た。
De reveとDe fleurs
1回通しただけだが、伴奏が付いて音楽の全体像が良く判った。
ドビュッシーの歌曲は、中音域の声の滑らかさ、独特の艶やかさに個性があると思うが、彼女の中高音の声がその質感を良く持っていて、実にはまり役。
De fleursは、声域的にはやはり低音が厳しいが、それを補ってあまりある中音~中高音の彼女の声の上質さが発揮されている。
この歌曲集は、一般にあまり歌われることがないが、ドビュッシーの作詩も音楽も、精魂込めて作られたとびきり上等の作品、と今日は改めて思わされた。
後、De greveをやれば、全曲制覇だと思うが、一度挑戦してもらいたいものである。
低音発声は、声量を求めないが、安定した発声を手にして欲しい。
なかなか直ぐには難しいと思うが、これからやれるだけやってみたいと思う。
歌わなくても出来る、歌詞の読みは、毎日でも練習をお願いしたい。
MTさん
ドビュッシーの初期の甘く高音が発揮される曲が、ヴェルレーヌばかり4曲となった。
「静かに」や「月の光」は、ほぼ譜面どおりにそつなく歌えば、目的は充分達する作品だが、「グリーン」は、楽譜指示のテンポの緩急をはっきり出した方が良いだろう。
声は、滑らかな美しい声が発揮されている。高音は無理の無い範囲で、きちっと張った声の方が良いと思う。
元々が細く音程の良い声なので、抜いてしまうと、抜いたという印象が強く残るからである。
高音は、声としての効果を良く出すようにベルカントで歌って良いのである。とはいっても、力んでがならないように。綺麗に張って欲しい。
GH
発声練習は、声を温める程度。上向形のみで、5度やドミソなどで練習した。
高音は、まだ力みがあるようで、恐らくお腹の使い方と、息の方向性の考え方を更に推し進めるべきだろう。
腹でぐっと力を入れるだけではなく、腹を入れて息を高く昇らせる方向、そして声も息と共に高く昇るように意識して欲しい。
ただ、それだけだと喉が上がるから、喉が動かない姿勢を大切に。
下顎を楽に降ろせることも大事である。
イタリア古典のVittoria mio coreは、全体によい意味で声がコンパクトになり、音程が良くなった。
特に中間部の高音が、ファルセットにならずに、支えのあるメッザヴォーチェの声に近くなり、音程感もとても良い。
また、前半の最後に出てくるメリスマも、非常に綺麗に扱えるようになった。
声のコントロールが効くようになったと思う。
今はまだ、少し弱い印象が残ってしまうが、まずは発声を確実にして、慣れたら更に響きを増していくように。
そのためには、
シューベルト「冬の旅」「あふるる涙」は、声の滑らかさと同質性に充分気を配って、更に美しい声による歌を目指して欲しい。
その意味は、ややもすると、声にむらが出やすいことにある。
これは音形のせいで、ちょっとした音の跳躍や、移動で、響きが不安定になるためである。
フレーズを歌い進む中で、響きが不安定になってしまう発声の要素が何処にあるのか?
見極めて欲しい。
一つの母音で滑らかに歌えたとしたら、次は違う母音でやってみること。
その次に歌詞を付けて、ゆっくり練習して欲しい。
音程と声質が、綺麗に滑らかになるまで。
特にだが、高音に昇る大きなアルペジョの特徴的なフレーズは良くなったが、その後の中低音のフレーズが音程に気を付けて。
Fくらいの響きは落ちやすいので要注意を。
「休息」は、特徴的なフラットで低めの音域を動く、アンニュイな旋律だ。
音域が低いので、つい不用意に太い声を出してしまうが、そうすると音程が♭になり、こもった響きになる。
出だしのNunで鼻腔の響きを良く出しておいて、その響きを紡ぐように、後は真っ直ぐにレガートな歌唱を心がけて欲しい。
ただ、淡々とこれをやっていくだけで、この曲の表現は成立するのだろう。
感情が高まる所は、自然にそのまま出して行けば良いのである。
大切なのは、やはりモチーフの音程とフラットな旋律線の表出である。
HA
風邪が、と言っていたが、まったく問題のない良い声が出ていた。
発声練習は、下降形で1点Aくらいから徐々に昇り、あまり高音に行かずに、低音から上向形で練習にした。
今日は、他の人と同じように、へそからブレスを入れ、息が胸を満たし、首を通り頭まで満ちたら、声が脳天から出る、というイメージを教えた。
あまりしつこく教えなかったが、要するに腹で踏ん張って、下に力まない発声を教えたかったのである。
喉を舌根で下げて、腹で息んで声を出すと、一見声が出るのだが、高音がもろに喉声になるので、要注意なのである。
モーツアルトの「劇場支配人」ジルバークラングのアリアは、アレグレット楽章の前のゆったり楽節は、とても良くなった。
だが一回通したら高音発声のせいだろうか、ポジションが上がってしまった。
1回目は後半のアレグレットが速すぎて、ブレスが追いつかず喉を締めてしまったのだろう。
もう少しゆったりすることが大切、と痛感。
歌手も、喉が締まらないように対処を忘れないでほしい。
最後に出てくる、2点bを3回繰り返すメリスマは、ゆっくり練習して、声の響きを更に良くしたい。
喉が上がって締まった響きにならないように。横開きの口ではなく、上下によく開けて、軟口蓋をしっかり高く上げて鼻腔への声の導きを良くしてやることである。
この辺りの声質には充分こだわってほしい。でないと、ソプラノの意味がなくなるから。
「初恋」は、ほぼ言うことが無いくらい良く歌えている。
強いて言えば、やはり最後の「あ~」で歌うメリスマの感情のこもり方。
もっと感情を込めて歌ったほうが良いのではなかろうか?
そして「思い出ずる日」で終わる最後のフレーズも、間でブレスを入れても入れなくてもどちらにしても、
ゆったりと、しみじみと終わるように歌うことが、大切でる。ブレスの問題は、そのためのこと、と考えて欲しい。
「シャモニーのリンダ」
よく歌えているのだが、声質がイタリア語のカタカナっぽさがまだ残るのが気になる。
感情や演技よりも、声質(発声)を大切に歌うこと。
まだ、発声が定まっていないからである。
良くも悪くも演技の感情を込めると、どうしても日本語の語感が、歌詞発音として表に出てしまうのである。
今は歌う感情や演技の前に、発声を何よりも大切にして欲しい。
口を縦に、と言えば直ぐ出来るのだが、今は喉側ばかり深くしてしまうため、暗い怒ったような声になってしまう。
そうではなく、軟口蓋も上げたバランスの良い、深い響きを求めて欲しい。
日本語の場合、調音点が、とても前にあるのだが、共鳴した深みのある響きは、もう少し奥なのである。
これは、5線の中の声なので、2点G以上の高音発声とは分けて考えて欲しい。
声を前に出さないで、奥で響かせるだけ、というイメージである。
そして、下顎を動かさない発声を覚えると、これも中の開いた声になるだろう。
前ばかりがパクパク開いてしまうために、奥が開かない浅い声になるからである。
強いて言えば、オペラとミュージカルの違い、といえばわかるだろうか。
マイクを使わないこともあるが、オペラの歌声は、よく判る歌詞発音よりも、オペラの声としての豪華な質感を大切にすべきと考える。
特にドニゼッティやベッリーニなど、この時代の作品は、ベルカントの典型でもあるから。