YT
発声練習は、いつも様子見でメニューを決めるのですが、高音の対処は徐々に上手くなっています。
ただ、まだ喉が安定しないためか、呼気が弱い声になって、不安定です。
呼気が弱いのは、多分、声帯が合わさり過ぎる傾向があるのだと思います。
声を出す際に合わさる力が強いため、細く高音に適した出し方をしようと思うと、いきおい、呼気を弱くしてしまうのだと思います。
息を吐く練習をしてから、その呼気を声に換えてみる方法もやってみました。
それから、声の出し始めを高く頭から、あるいは軟口蓋辺りから出し始める感覚を磨いてください。
あるいは、ブレスして声を出す際に軟口蓋を上げるようにして、出し始めるのも良いかもしれません。
曲はTu lo saiをやりました。
基本的な所は抑えてくれるようになって、
バリトンにはきつい中高音続きの旋律を上手く歌えるようになりましたので、今日は更に煮詰めに入りました。
大まかに言えば、まだ当たりが少し太いことと、旋律の音程移動と母音の変化に伴って、扱いが荒い点を注意しました。
喉の辺りが太い原因は、色々やってみて、身体を見て感じたのは、ブレスのポジションが低いためではないか?ということでした。
胸をもう少し高く拡げるようにブレスしてみてはどうか?
これは、試行錯誤が要りますので、やりながら、声を見て行きたいところです。
それから、特に高音側に跳躍する際に、呼気の上昇を促すように、お腹を少し使うことです。
横隔膜の重心を低く、というよりも、呼気そのものを上昇させるように、腹筋を少し使ってやることです。
喉さえ上がらなければ良いわけで、それ以上横隔膜を低くしよう、とすると、かえって、太くなって、呼気が上がらない声になってしまうように思えます。
音程移動、母音の変化が荒い、というのは、たとえば・・・TuからLoに音程移動、母音が変わる際に、
子音を挟んで母音を変える行為に伴って、声帯の振動が変化する、その状態にもっと敏感になりましょう、ということです。
基本的に、なるべく声質を変えないように変えないように歌うこと、を基本だと考えれば、もっと丁寧に滑らかに歌うはず、と思うわけです。
発音の際に、口の開きや、動かしを滑らかに徹底してください。
基本的には、指をくわえるなどして、口の動きを一端封じ込めたうえで練習することが、効果的だと思います。
KNY
発声練習では、ブレスから声出しにいたる身体の使い方や、息を吐くように声を出すことを教えました。
発声の声を聞いていると、本番前の緊張が解けたせいなのか?、すこし安心してしまったかな?という印象がありました。
それで、もう一度基礎的なブレスから声出しに至る、身体を使うことを練習してみました。
彼女固有の問題ですが、見ていると口が開かない発声です。
最終的には開かないから悪いということもないのですが、音域が高くなったときに、いわゆる喉の開きが悪いように思えます。
そのレベルの話として、単にもう少し口を開けてみましょう、ということを指示しました。
例えば、ドミソという音形を母音Aで歌う際に、ドミからソの段階で、口を開くようにすること、です。
そうすることで、歌いながらも高音に入る際に喉を開けて歌えるようになるでしょう。
本当は、ブレスの段階で喉がある程度開いていることも必要ですが、それは難しいしいので今は言ってません。
それから、歌う姿勢として、頭が胴体の真上にきちんと置かれた状態で歌う、ということを意識するだけでも喉は開くでしょう。
そういう意味で、姿勢は大切です。
誰でもそうですが、声を出そう出そうと意識すればするほど、顔が前に出て、いわゆる顎が前に出た姿勢になってしまいます。
これも、特に高音になるほど、喉が閉まる原因になります。
最後にブレスです。一番効果の出たのは、腰背を膨らませるように入れることと、そこを保持するように歌うことです。
まだ腹式呼吸が確立しておらず、胸だけで吸って歌う傾向があるため、ブレスが持ちません。
以上のことをある程度練習して、Caro mio ben,Vaga luna,そして全音版イタリア古典歌曲集3巻のSelve amicheを練習しました。
Caro mio benは、今日練習したブレスから声出しに至ることを練習しました。
Vaga lunaは、テンポ通りにやると、ブレスがきついようです。
きつくても、ある程度ゆったりやることで、訓練になりますし、この曲の持ち味なので、テンポを守って歌ってみてください。
Selve amicheは、譜読み途上なので、これは母音だけで練習して、最後にイタリア語の読みをして、イタリア語で歌いました。
歌うよりも、イタリア語を読むことと、イタリア語でメロディのリズムを読むことも練習してください。
声楽の練習で、発声とかブレスの身体の使い方とか、肉体的なことだけに集中すると、歌そのものが持っている美しさを素朴に味わう気分を阻害してしまようにも感じられるでしょう。
ただ、自分が楽しむだけが目的ではなく、聴衆が聞いて良く分かる音楽を演奏すること、聴衆が楽しんでくれることにも意味があります。
そう考えて、発声を研究する必要性や意義目的を大切にしてほしいと思います。