MYM
換声点辺りのロングトーンを歌うと、声が棒のように真っ直ぐに突き刺すような声が出てきます。
また、しばしば、むせてしまい、歌えなくなることがあります。
これは、胸声のまま音程を合わせようとして発声するからです。
そのポイントが、ほぼ5点F前後になります。
5点Gより上になると、さすがに胸声傾向が厳しいためか、自然にファルセットになります。
この換声点(チェンジ)の発声の会得が難しいようです。
この発声法の探し方は、中低音の声の出方(胸声)と、高音で喉を楽にして出せる出し方(頭声)の声の違いを良くわかることに始まります。
分かったら、どうやったらその中間の出し方が分かるか?という発想で探してください。
軟口蓋という単語を、私が教えるときに良く使う理由は、口蓋垂(のどちんこ)あたりから鼻の奥にかけての場所で声の響きを出そうとする方法が、換声点から高音にかけての発声において有効な方法のきっかけとなるからです。
喉そのものや胸ではなく、かといってスカスカしたファルセットのような発声でもない、と言う方法であれば、鼻声にならない一歩手前のような発声を見つけるのが分かりやすいと思います。
また、喉に来てむせてしまうという現象は、そのこと自体は確かに発声のせいでもありますが、発声以前に、そうなるような出し方を普通は忌避すると思うのです。
忌避することから、良い発声を導き出そうと発想するのではないでしょうか?
どうしたら喉に来ない発声になるか?という工夫でしょう。
もう一点、大事なことですが声をメロディにするエネルギーは「息」です。
メロディを歌う間、息をどう持続するか?どのように息を吐いていくか?
この吐いていく、という実感が歌声の響きといったいになることが、究極の目的になります。
「みぞれに寄せる愛の唄」
テンポ感がまだ定着していないか?と感じます。
上述の息の流れをもっとゆっくりに感じて、一つのフレーズを長くゆったりと歌うイメージを持ってください。
スローモーションビデオのようなイメージです。
そのため、ブレスに意識もつことと、歌いだしたら息の配分に注意してください。
基本は、フレーズの終わりが見えてきたら息を吐き出すようにお腹をへこませることを意識してください。
また、換声点近辺でのロングトーンも、この息を良く吐く行為が、長さを担保する原因ですし、音程が下がらないようにする理由になるのです。
必ず、お腹を入れて息を吐き出す意識を持ってください。
「桜伝説」
高音発声に課題があるのですが、前述の換声点の発声で、特に喉の使い方もあるにはありますが、観察していると、
お腹が固まっているように感じました。
要するに、声を出している間、お腹に力を入れるだけで息が綺麗に吐けていない発声になっているように見えました。
お腹の使い方は、声の支えも関係しますので、一律にお腹をへこませるという言い方はしたくないのですが、あえて今回は、声を出す際には自然にお腹がへこんで行くように使うのが良いと思います。特に高音の発声では、高音を出すための力に頼りきってしまうために、お腹が動かなくなっている可能性が高い、と感じました。
お腹の力も必要な面はありますが、今回はそのことよりも息を吐くこと、吐ききること、吐き続けること、という呼気が歌声とつながっていることに、重点を置いてください。
OM
ドビュッシーのレッスンのテーマは、声の響きをしっかり出すことでした。
歌い出しで始めた、Calmes dans le demi jour(En sourdine)は、全体に音域が高めということと、声が温まっていなかったせいもあり、軽くファルセット気味でした。
何度か繰り返すことと、声のポジションを低くするように指示して、響きに芯がついて落ち着いた声になりました。
この辺りは、単に喉が温まっていないだけではなく、テクニックでカバーできる面があると思います。
全体に音域が高めの曲は、素直に歌いだすと喉が高すぎて子供っぽい声になってしまうのが彼女の特徴です。
いわば、ボーイソプラノみたいな感じ、といえばわかるでしょうか?
これはこれで、美しいのですが、やはり成熟した女性のソプラノの声、発声も常にイメージするようにしてください。
意識してイメージしていないと、声は出来ないと思います。
音楽だけに集中すると、意外と抽象的になってジェンダー差が持つ固有の色気とかオーラが希薄になってしまうのです。
もう一つ、覚えてほしいことは、換声点近辺で、下の声区から通して高音域の前半、特に5点G~bまでは、なるべく鋭い高音を出せるようになることです。
これは、おおむね口を開けすぎない発声で、鼻腔を狙うことが一つのヒントになろうかと思います。
そしてC’est l’extase langoureuse
弾き語りを目標にしているということで、実際に弾き語りで歌ってもらいました。
ピアノはとても良い響きになりましたが、声がその分軽くなってしまいました。
弾き語りは、ピアノ音楽中心にしないで、声の音楽を中心に、音楽作りをするほうが良いと思います。
要するに、テンポを歌声の発声に必要な間合いをきちっととることと、テンポをゆったり目にすることです。
そのことで、必要な声の重さが出来るでしょう。
この曲の魅力は、確かにピアノ伴奏の美しさがありますが、声の魅力がないと、やはり美しさが半減してしまいます。
その意味では、メロディラインの声の響きにしっかりとした芯があって、その芯のある響きがメロディを奏でている、という感じをしっかり作ってほしいのです。
ピアノのテンポやブレスの間合いは、そのために奉仕するというコンセプトで良いと考えます。
そして、Il pleure dans mon coeur
これも、C’est l’extaseと同じく、声の線の響きを意識です。
抑制した表現=軽く出す、だけではなく、抑制した表現は音楽そのものが表現しているから、声という楽器は、最低限の響きがないと、音楽の骨格が表現できない、と考えるべきではないでしょうか?
楽器でもそうですが、Pというダイナミックを音で表す時、ピアノだったらどう弾くか?鍵盤をなでるみたいに弾くのか?最低限、ハンマーが弦を打ち下ろす、というアタックの意識は必要ではないか?
というような部分に置き換えてみると、理解してもらえると思います。
決して、声を出し過ぎて良い、という話ではありません。
最低限の楽器としての響を
ドビュッシーの最後は、これも初期のClair de lune
先日、伴奏合わせをしましたが、その時も前述のように声の課題を感じました。
何となく雰囲気で声を作らないで、きちっと声を出して歌うこと。
それはヴェルディの歌曲を歌うときも、この曲も根底にある基本としては同じこと、ということです。
べーとーヴェンを弾こうがドビュッシーを弾こうが、ピアノという楽器が変わるわけではないのと同じこと、同じ発想をしてください。
最後に椿姫を練習しました。
これは一か所だけ、高音の6点Cから低音に降りるカデンツの部分。
低音へのチェンジが難しい所です。あまり鳴らさないでピッチだけ確保して自然にディミニュエンドするほうが良いかな?と今は考えています。