MYM
声のチェンジの方法の練習で特訓となりました。
やはり日本語の母音アで歌う癖が強いために、高音の声区へのチェンジが上手く出来ません。
最初は鼻母音に替えてみるということをやってみました。
ここで、勘違いがありますが、フレーズの目的地で声を、いわば「切り替える」という意識でやる練習である、ということです。
従って、たとえばドミソ~と母音のAで歌うときに、ミからソに行く際に切り替える方法です。
この場合、ミを歌いながらソに音程を上げるときに、喉を押さないで、鼻母音になるように変化させるわけです。
カタカタで書くと、アーアーァン~みたいな感じ。
これがあまり上手く出来ないので、方法を変えました。
鼻母音から母音に変換する練習であるば、Nga→Aとなりますが、この場合に、完全にAに変換しないで、ドイツ語発音のCHAのようにします。
彼女の場合に限っては、この方法が、チェンジに非常に適しているようです。
というのも、高音になるほどに喉を押す癖が強いためです。
CHAでやると、声帯が少し開いて、音程の良い息の流れる高音発声になるのです。
この方法で中田喜直の「行く春」を練習。
こちらは、ほぼ上手く出来ました。
実際の歌のフレーズでは、ブレス時の喉のあくび状態の作り方が重要になります。
これが、上手く出来ると50%は、チェンジが上手く行く原因となるでしょう。
そして、結果的にブレスも上手く行くはずです。
林光の「わかれ」が難しかったです。
前述のCHAの方法と共に、Kazooという楽器を使っての練習も効果的でした。
リップロールと同じ効果がありますので、リップロールや巻き舌で練習する方法も良いでしょう。
GH
発声から、低音発声が下に伸びない声で、喉が疲労を起こしているようでした。
色々状況を聴いたところ、結局、日曜日夜の飲み会が、原因だろうということになりました。
飲み会は酒よりも、大きな声で喋ったり笑ったりするおことで、喉が疲れてしまうのです。
モーツアルトの「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」は、声の強弱と滑らかさを駆使して、フレーズの表現の違いを良く出すことです。
兵隊の上官が二等兵に叱咤激励する言い方、あるいは憎々しげに言うあまり、滑らかで丁寧な言い方になったり、という変化を、実際のフレーズの歌い方や声の強弱で巧みに歌うことが大事です。
それがないと、この曲は面白くもなんともない曲になってしまいます。
山田耕筰「からたちの花」
弱声を歌うことが、どういう内容表現になるか?という意図を以て弱声で歌うこと。
基本的に、自らの思い出をノスタルジーを以て歌っているので、リラックスした気持ちよさを大切にしてください。
発声するぞ、歌ってやるぞ、と力まない事です。
徹底して、歌詞のノスタルジーを感じてください。
最後にトスティの歌曲から、La serenataとNon t’amo piu,L’ultima canzoneを練習しました。
キャッチーなメロディが、意外なほど彼のバリトンに合っていると感じました。
ぜひ挑戦されてください。
NM
今回のレッスンでは、声の出し始め、ブレスの時に、少しあくびの状態を意識する、ということが主要課題でした。
様々な曲を聴いていると、一つの傾向がみられます。
それは、多分彼女の癖ですが、弱声で歌いだす時に、喉の力を抜いて出すのですが、これが声帯を開いてしまう、いわゆる喉の浅い響きになることです。
中低音での声の息もれ傾向が強いのも、ほとんどがこのことが原因と思われます。
確かにあくびを強く意識すると、息もれはないが声が暗くこもってしまいます。
これは、舌で力を入れてしまうからですが、それでもやらないよりはやったほうが、ましです。
今は、このことで声が暗くこもったとしても、息もれのある喉が上がった声の出し方は厳に慎むべきと思います。
というのは、この出し方でフレージングすると、高音のチェンジが具合の悪いことになり勝ちだからです。
曲は、プーランク2曲、Priez pour paixそしてC
サンサーンスのS’il est un chacmant gazon、Enfant si j’etais roi
リストのOh quand je dors
日本歌曲は、山田耕筰の「からたちの花」「この道」「中国地方の子守唄」
実際の唄では、そのほとんどがむしろ強声の抑制が課題になりました。
そして、高音の特に換声点付近への跳躍時に、強く押し過ぎてしまうことです。
徹底して、滑らかに滑らかにフレージングしてください。