歌声の結果を気にしないで、歌う行為に集中すること、口をしっかり開けられる発声。
MYM
発声は無理をしないで、母音のAだけで1オクターブから徐々に範囲を広げ5点Gまでで終わった。
喉をリラックスすることを、大切に発声練習をすることが、高音発声の可能性を拡げるから。
ドナウディの2曲は、ブレスポイントの確認と、歌う集中の向け処が課題。
ブレスは良いとして、歌い出してからの息の配分は考えましょう。
どこで無意識に強く出しているか?
それほど出さなくても良いことが多い。
この集中力を活かすと、ブレスの続かない問題は、案外クリア出来そう。
高音発声自体は、ほぼ問題ない。
それよりも、自分の声の状態を気にしないで、歌う表現に集中して演奏できること、をイメージして本番に臨んでほしい。
SA
デュポンの歌曲2曲は、歌いこみが進んできて、フランス語も少しずつ明解になって来た。
まだまだ口の開け方が足りないので、特に開口母音では良く開けて発音する癖をつけてほしい。
結論的には、開ければ良いわけではないが、開けられない硬い歌唱法を改善することで、発声に柔軟さを戻すための目的があるから。
山田耕筰の「この道」は、具体的な発声やイメージの問題は置いて、メロディを歌う作法について、器楽演奏のの模倣について話しをした。
歌の場合は、この場合、ヴァイオリンやヴィオラなど、撥弦楽器であり、その弓裁き、ボーイングにより生み出されるメロディの形である。
換言すれば、メロディをどう歌うか?というイメージの在り方である。
もちろん、歌詞を歌うわけだが、歌詞やメロディの性質に依存したイメージとは別に、何の迷いもないメロディを奏でる声と言う楽器の使いかたに影響のあるイメージの持ち方である。
これは、歌詞にも左右されないし感情にも左右されない、純粋な音楽性の問題と言い換えても良いだろう。
この集中によって、発声上とされる、レガートやフレージングの問題が一発で解決される可能性が出て来ると思う。