- 昨日のシューベルト「魔王」のレッスンで考えたこと。我々はオリジナルに対してのより精巧なレプリカントたらん、とあるべきか?それとも焼き直された別物になっても良いのか?ということ。シューベルトの歌曲がドイツの純粋な伝統芸能なのだとしたら、話は早いのだが。。 00:09:49, 2018-06-28
- 年を経るにつれ、若いころ先生に言われて反抗していたことを思い出す。どれ一つとっても、反抗したことの意味はなかったが、自分で考えて努力する癖だけはついたのだ、と思う。 16:39:24, 2018-06-28
- 反抗していても効率が悪いです。自分の欠点とか悪い点は、指摘されると気分が悪いのは確かだが、素直に聞けない人は伸びるのが遅いです。自分を良いと思ってやることも必要だけれど、それだけでは進歩がないのも事実ですよ。 16:41:07, 2018-06-28
- 芸術作品を享受すること、理解することは、数をこなさないと出来ないです。判らないとか興味がないと言って避けていたら、いつまで経っても理解できないです。詩に興味がなかったら、とにかく手あたり次第、詩を読んでみるのです。その中で、何かが刺さるはず。刺さったことできっかけをつかむのです。 16:44:29, 2018-06-28
- 作曲家が作って演奏家が演奏する、というスタイルがクラシック音楽。作曲家はあらゆる芸術に通暁していて、そこからイメージを導いて作品を創ります。その作品を演奏するものが、演奏する楽器や歌にしか興味がなかったら、作曲家の本当のイメージには近づけないはず。 16:47:05, 2018-06-28
- たとえば、ピアニストがオケの音楽に通暁していれば、単旋律を弾くときに、オケだったらフルートか?オーボエか?あるいは弦のユニゾンか?といったイメージが沸くと思う。そういうことが演奏の彫りの深さを出せるか、出せないか?の大きな違いに通じると思います。 16:49:13, 2018-06-28
昨日のアトリエムジカCのツイログ2018-06-28
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