MR
発声練習の声は、5点bまで安定した歌声を確保できています。
全体にバランスが良く音程も声質も良くなりました。
あと一歩、高音域の声に密度が出れば完璧です。
プログラムのモーツアルトVedrai carino
こちらも、これまで教えてきた通り、語りの雰囲気が出てきました。
ただ、まだフレージングの中に間延びした印象があるので、更に絞り込みました。
そのためには、実際に朗読してみることです。
朗読したときに、どこを強調し、どこを省くか?が判るかどうか?
特に省くところがどこか?が判ると良いですね。
ベッリーニの夢遊病の女から、Ah non credeami rarti
後半の高いキーに移行したフレーズは、弱声によるレガートを徹底してください。
そして、さらにコーダの直前からこの抑制された感情表現が解放されるわけです。
この表現の違いを、歌声で良く表現するようにしてください。
カデンツは5点Asの音程と声を優先するためには、ブレスの省略で無理しないでください。
TNA
発声は低音~換声点までの響きは、明るさと声量が増して安定感があります。
ただ、歌になるとやや慎重になるのか?あるいは表現かもしれません、線が細くなる傾向があります。
歌い進むにつれて、それが軽減されて調子が出てくるので、良いかなとも思います。
高音はやや声がチェンジしますが、これも安定して5点bまで伸びるので、現状では良いと思います。
フォーレの「リディア」出だしがか細くなるせいでしょうか?ブレスが少し苦しいです。
ここは、Et sur ton col frais et si blancのBlancの響きが一番重要なのです。
ロッシーニの「約束」これも高音は積極的に前に吐き出すように歌う方が気持ちが良いです。
最後の長いフレーズは、ブレス時にフォームが崩れるため、息が保てないことから起こる現象です。
PPで歌うフレーズが前にありますが、その時点で、きちっと喉を開けた発声と適度な響きを心掛けることで、
最終的なポイントのブレスと喉のフォームも決められると思います。
そこが決まれば、ブレスも持つはずです。
ベッリーニの夢遊病の女からAh non credeami rarti
ほとんど彼女の集中力で、見事に歌い通せて素晴らしかったです。
現状維持で、本番に集中力を発揮してください。
SM
伴奏合わせで、発表会前の最後の仕上げになりました。
結果的に、大変良いところに落ち着いたという印象です。
ラヴェルの作品を4曲ですが、今回選んだ曲の性格もありますが、恐らく彼女の歌声の良さが持っている可能性として、
落ち着いてゆったりしたテンポで歌う、ということが一つのキータームになるのではないか?と思いました。
特に「聖女」は、宗教的な雰囲気で、という冒頭の指示がありますが、それにしても遅いテンポ、恐らく四分音符40暗いと思われますが、
これが、彼女の歌声から、この曲の持つ神秘的なものや精神的な要素を引き出したと思いました。
テンポがゆっくりだからブレスがきついか?というと、そういう感じはありません。
次の「3羽の天国の鳥」は、シンプルで伴奏が薄い音楽なので、子供が歌うように、カッコつけないで素朴に淡々と歌うことです。
声を抑えると、かえって難しくなりますから、適度に声は出したほうが良いでしょう。
クレマン・マロの2つのエピグラムは、1曲目、特にテンポのゆったり感がうまく表現されています。
2曲目は、本来は軽快なテンポですが、これも少し遅くしました。
その方が発音がついていけることと、音楽がしっかり確実になるのです。
AC
ドビュッシーのプログラムから「2つのロマンス」と「美しい夕べ」を伴奏合わせで、発表会前の最後のレッスンとなりました。
レッスン回数は多くはなったですが、きっちりと仕上げてくれた、という印象で終わることが出来、安心しています。「
これまでの今回のプログラムのレッスンは、発声のことを指摘することが多かったですが、幸いしたのはそれほど音域が高くなかったことです。
高音への換声点から上の領域は、もう少し開発の余地があると思います。
2つのロマンスは、2曲とも伴奏とのアンサンブルが主でした。
テンポの緩急と、声の強弱です。
まったく楽譜通りです。楽譜に書いてあることを、聞いている人が判るように演奏すること、
暗譜をするときに、この点をしっかり頭にいれておいてください。
「美しい夕べ」は、これも伴奏音楽と歌声の整理とのすり合わせに終始しました。
中間部のサビで、高音発声があるフレーズでブレスが厳しいのは、伴奏のアッチェレランドでどうにでもなるからです。
また、アッチェレランドが書いていなくでも、このフレーズの形は、自然にアッチェレランドすると思いました。
音楽は緊張と弛緩という2つの要素の対比で、美しさをより強く感じます。
声の強弱や、テンポの緩急は、そのために表現を分かるように演奏することに意味があるのではないでしょうか?