- クラシック音楽って何でしょう?という言葉の定義づけは、常に議論されて然るべきではないか?と思った今日のドビュッシーの歌曲のレッスンでした。 21:19:27, 2018-07-07
- 先日レッスンしたヴァッカイの練習曲もあれば、フォーレの練習曲もある。両者はまったく違う表現で、歌のスタイルが勉強できる。教育方法として、声楽の導入を何から始め、どういう練習を経て、どこの国の言葉を専門にするか?という事までを綿密に決めて徹底するのが、職業歌手の養成に必要。 21:22:16, 2018-07-07
- ドビュッシーの音楽がラディカルなものとすると、それは前衛的な技法のことではなく、作曲を目指した視線の違いにあると思う。技法は焼き直しに過ぎない部分がほとんどだが、その使い方においてまったく新しい。 21:24:26, 2018-07-07
- 子供のころに初めて感動したオーケストラ作品がドビュッシーの牧神の午後への前奏曲だった。ベートーヴェンの運命やストラヴィンスキーの火の鳥や春の祭典に欣喜雀躍した少年時代を過ごした人とは明らかに違っていたことは認めよう。要するに変った子だったのだ。。 21:38:32, 2018-07-07
- ダンサブルな音楽や大音量に痺れる音楽は、すでにロックが自分の中に存在していたので、クラシックにそれを求める嗜好がほとんどなかったのだろう。クラシック音楽に対しては、異次元に瞬時移動するような、シュールな表現を渇望していたと思う。 21:40:32, 2018-07-07
- 声楽で演劇的な表現力を発揮するのは、人によって感度や解釈の差があり過ぎて、指導する方としては難しい、という経験を良くしています。やはり基本は音楽です。広義の意味での規則正しい拍節を持つことがいかに大事か?譜面に書いてあるリズム表現がいかに大切か?ということを強く思います。 21:55:13, 2018-07-07
- ドビュッシーの音楽より、フォーレの方が抽象度が高いのではないか?と思います。ドビュッシーの音楽はイメージを言語化しやすいが、フォーレは幾何学模様のデザイン美みたいなところがあります。 23:44:17, 2018-07-07
昨日のアトリエムジカCのツイログ2018-07-07
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