- 昨日のコンサートで思った事。声楽家が外国語で歌う場合に、歌詞を言葉として扱っている歌い方と、声だけで歌っている場合ではかなりな違いが生じます。その言葉を理解していない聴衆でも、言葉として歌詞を扱っている歌の方が必ず訴求力があります。 08:59:48, 2018-08-05
- もしかして、どうせ分からないやつ相手だから、言葉のことまできっちりやらなくても、良い声さえ出せればいいんだよ、と思ってやってないか?時として感じるある種のいい加減さは、そういうところにあるのではないか? 09:05:25, 2018-08-05
- ブレスの長いフレーズは、ブレスの仕方より歌う息の調節が大事。 18:23:12, 2018-08-05
- 大体が始めちょろちょろ中パッパ出口が見えたら吐き出そう。 18:25:08, 2018-08-05
- フォーレの歌曲は歌として魅力的とは言い難い面があります。だからこそ歌声の楽器としての完成度が問われます。それは単に声だけではなく、フランス語としての音楽性が発声といかに結びつけられているか?というところにあるのでしょう。 22:25:42, 2018-08-05
- ドビュッシーの歌曲は朗誦のあり方に演劇性を持たせた風ですが、フォーレは特にヴェルレーヌの詩を歌うと、ヴェルレーヌ固有の母音の音楽的な変化を強調して(意識して)作られている気がします。歌い手はそこに意識が行くか行かないか?行かなくても美声で通せる歌もあるのですが、面白くないな。 22:33:22, 2018-08-05
昨日のアトリエムジカCのツイログ2018-08-05
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