TNA
発声練習だと喉が良く降りているが、歌になると喉が高めになるというのが特徴。
ブレスの問題だと思う。
発声練習だと、タイミングがワンパターンでブレスが比較的安定できるからだろう。
歌になると、余計に力を入れてしまうのだと思う。
今回は最低音域の地声へのチェンジと、換声点で喉を下げる方法について教えた。
彼女は5点F♯が換声点と思われるが、自意識を明快に持って対処しないと、ここで声が引っかかる。
ドビュッシーの2つのロマンス。
1曲目「ロマンス」は前奏が終わった後の部分。
伴奏がないので、アリアのレシタティーヴォと同一視して良い。
表現を考えれば、前奏のテンポよりゆっくりと雰囲気を重視して歌うべき。
伴奏が入ってきてL’ame odoranteからテンポが動き出す。
後は強弱の変化を良く出すことと、テンポの変化もしっかり確認してほしい。
2曲目「鐘」
前半部分は、言葉を明快にはきはきとテンポよく歌うのが表現に適っている。
そして間奏の後から、夢見心地の感じで少しゆったり歌い、クレッシェンドで
サビを盛り上げフィナーレへ。
モーツアルトのドン・ジョヴァンニからエルヴィーラのアリア。
最初は良いが、徐々に喉が高くなる点。
ブレス、そのタイミングが結局テンポの感じ方で変わる。
自分のタイミングで良いブレスが出来るテンポ感を良く感じて意識して歌うこと。
そのたにテンポを急ぐ必要はない。
AC
プーランクの「モンパルナス」を練習した。
最初は喉が高く、ピアノ伴奏の響きと歌声との乖離が、この曲の表現とそぐわない感じがしたので、喉を低く収めるようにしてもらった。
難しい発声の理論よりも、ピアノ伴奏の和音響きの中にメロディが入るように自分の声をイメージするだけで良い。
メロディが含まれる和音内の低位の音を歌ってみて、その声質と変わらないようにメロディを歌う、という方法も良いだろう。
この作品はプーランク自身のアイデンティティの部分が詩の本意に重ねられているという話をした。
また作曲年代からいっても、1940年代という時代性、映画音楽に使われているスタンダードナンバーからの影響もあること。
つまり音楽全体の雰囲気とか作者の心情に対する共感を以て歌詞を歌うこと。
そのためには、歌詞が描いている世界を良く想像してみると良い。
ストレートにわからなくても、自分の経験に当てはめてみると解ることが多いと思う。
HA
ドナウディのAmorosi miei giorniと菅野祥子「春なのに」を練習した。
ドナウディの方は、イタリアらしいメロディの抑揚が大きなスタイルなので、基本的には高音を開放的に歌うべきだが、ドナウディの場合は開放的にするフレーズで、
ディミニュエンドを指示していることが多い。
低音発声で息を出し過ぎないようにして、高く響かせること。
そのことで、中高音への声のつながりが良くなる。
つまりレガートに歌える。
「春なのに」は、本番を経験して一段と歌詞発音が明快な歌になった。
今後は、歌詞の内容が表現している、音楽表現の変化をより積極的に歌声に反映させること。
そのために、歌詞の朗読をより演劇的に読めるようになること。
おだやかな現在の風景が、過去の辛い経験を踏み台にして成り立っている。
その思い出が起きた春、今の春に重ね合わせて、もっとストレートに怒りすら出すくらいの歌になっても良いと思う。
もともとが声楽作品として作られてはいないわけで、声楽の演奏であっても、
ある程度の直截さを歌声に出すべきだろう。